》れてから以来《このかた》、まるで一目《ひとめ》も寐《ね》ないんだから。……」
とせい/\、肩《かた》を揺《ゆすぶ》ると、其《そ》の響《ひゞ》きか、震《ふる》へながら、婦《をんな》は真黒《まつくろ》な髪《かみ》の中《なか》に、大理石《だいりせき》のやうな白《しろ》い顔《かほ》を押据《おしす》えて、前途《ゆくさき》を唯《たゞ》熟《じつ》と瞻《みまも》る。
二
「考《かんが》へると、能《よ》くあんな中《なか》で寐《ね》られたものだ。」
と男《をとこ》は尚《な》ほ半《なか》ば呟《つぶや》くやうに、
「言《い》つて見《み》れば敵《てき》の中《なか》だ。敵《てき》の中《なか》で、夜《よ》の明《あ》けるのを知《し》らなかつたのは実《じつ》に自分《じぶん》ながら度胸《どきやう》が可《い》い。……いや、然《さ》うではない、一時《いちじ》死《し》んだかも分《わか》らん。
然《さ》うだ、死《し》んだと言《い》へば、生死《いきしに》の分《わか》らなかつた、お前《まへ》の無事《ぶじ》な顔《かほ》を見《み》た嬉《うれ》しさに、張詰《はりつ》めた気《き》が弛《ゆる》んで落胆《がつかり》して、其《それ》つ切《きり》に成《な》つたんだ。嘸《さぞ》お前《まへ》は、待《ま》ちに待《ま》つた私《わたし》と云《い》ふものが、目《め》の前《まへ》に見《み》えるか見《み》えないに、だらしなく、ぐつたりと成《な》つて了《しま》つて、どんなにか、頼《たの》みがひがないと怨《うら》んだらう。
真個《まつたく》、安心《あんしん》の余《あま》り気絶《きぜつ》したんだと断念《あきら》めて、許《ゆる》してくれ。寐《ね》たんぢやない。又《また》、何《ど》うして寐《ね》られる……実《じつ》は一刻《いつこく》も疾《はや》く、此《こ》の娑婆《しやば》へ連出《つれだ》すために、お前《まへ》の顔《かほ》を見《み》たらば其《そ》の時《とき》! 壇《だん》を下《お》りるなぞは間弛《まだる》ツこい。天守《てんしゆ》の五階《ごかい》から城趾《しろあと》へ飛下《とびお》りて帰《かへ》らう! 其《そ》の意気込《いきご》みで出懸《でか》けたんだ、実際《じつさい》だよ。
が、彼《あ》の頂上《ちやうじやう》から飛《とん》だ日《ひ》には、二人《ふたり》とも五躰《ごたい》は微塵《みじん》だ。五躰《ごたい》が微塵《みぢん》ぢや、顔
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