然《さ》うかと思《おも》ふと、膝《ひざ》のあたりを、のそ/\と山猫《やまねこ》が這《は》つて通《とほ》る。階子《はしご》の下《した》から上《あが》つて来《く》るらしく、海豚《いるか》が躍《をど》るやうな影法師《かげぼふし》は狐《きつね》で。ひよいと飛上《とびあが》るのもあれば、ぐる/\と歩行《ある》き廻《まは》るのもあるし、胴《どう》を伸《の》ばして矢間《やざま》から衝《つ》と出《で》て、天守《てんしゆ》の棟《むね》で鯱立《しやちほこだ》ちに成《な》るのも見《み》える。
 時々《とき/″\》ひら/\と烏《からす》が出《で》て、翼《つばさ》で、女《をんな》の胸《むね》を払《はた》く……
 中《なか》に見《み》る目《め》も恐《おそろ》しかつたは、――茶《ちや》と白大斑《しろおほまだら》の獣《けもの》が一頭《いつとう》、天守《てんしゆ》の階子《はしご》を、のし/\と、蹄《ひづめ》で蹈《ふ》んで上《あが》つて、畳《たゝみ》を抱《だ》いて人《ひと》のやうに立上《たちあが》つた影法師《かげぼふし》が、女《をんな》の上《うへ》を横《よこ》に通《とほ》ると、姿《すがた》は隠《かく》れて、颯《さつ》と蒼《あを》く成《な》つた面影《おもかげ》と、ちらりと白《しろ》い爪尖《つまさき》ばかりの残《のこ》つた時《とき》で――獣《けもの》が頓《やが》て消《き》えたと思《おも》ふと、胸《むね》を映《うつ》した影《かげ》が波立《なみだ》ち、髪《かみ》を宿《やど》した水《みづ》が動《うご》いた……
『御身《おみ》が女房《にようばう》の光景《ありさま》ぢや。』と坊主《ばうず》が私《わたし》の顔《かほ》の前《まへ》へ、何故《なぜ》か大《おほき》な掌《てのひら》を開《ひら》けて出《だ》した。」


       誂《あつら》へ物《もの》


         二十五

「私《わたし》は息《いき》を引《ひ》いて退《すさ》つたんです。」と雪枝《ゆきえ》は尚《な》ほ語《かた》り続《つゞ》けた。
「……水《みづ》の中《なか》からともなく、空《そら》からともなく、幽《かすか》に細々《ほそ/″\》とした消《き》えるやうな、少《わか》い女《をんな》の声《こゑ》で、出家《しゆつけ》を呼《よ》んだ、と言《い》ひます。
 而《そ》して、百年《ひやくねん》以来《いらい》、天守《てんしゆ》に棲《す》む或《ある》怪《あやし》
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