》くぶらりと成《な》る。

         三

 青年《わかもの》は半狂乱《はんきやうらん》の躰《てい》で、地韜《ぢだんだ》を踏《ふ》んで歯噛《はがみ》をした。
「おのれえ、魔《ま》でも、鬼《おに》でも、約束《やくそく》を違《たが》へる、と言《い》ふ不都合《ふつがふ》があるか、何《なん》と言《い》つた、何《なん》と言《い》つた。」
と詰《なじ》るが如《ごと》くに掠《かす》れ声《ごゑ》して、手《て》を握《にぎ》つて、空《くう》を打《う》つて、天守《てんしゆ》の屋根《やね》を睨《にら》んで喚《わめ》いた。大手筋《おほてすぢ》を下切《おりき》つた濠端《ほりばた》に――まだ明果《あけは》てない、海《うみ》のやうな、山中《さんちゆう》の原《はら》を背後《うしろ》にして――朝虹《あさにじ》に鱗《うろこ》したやうに一方《いつぱう》の谷《たに》から湧上《わきあが》る向《むか》ふ岸《ぎし》なる石垣《いしがき》越《ごし》に、其《そ》の天守《てんしゆ》に向《むか》つて喚《わめ》く……
 喚《わめ》くが、しかし、一騎《いつき》朝蒐《あさがけ》で、敵《てき》を詈《のゝし》る勇《いさ》ましい様子《やうす》はなく、横歩行《よこあるき》に、ふら/\して、前《まへ》へ出《で》たり、退《すさ》つたり、且《か》つ蹌踉《よろ》めき、且《か》つ独言《ひとりごと》するのである。
「畜生《ちくしやう》、人《ひと》の女房《にようばう》を奪《うば》つた畜生《ちくしやう》、魔物《まもの》に義理《ぎり》はあるまいが、約束《やくそく》を違《たが》へて済《す》むか、……何《なん》と言《い》つて約束《やくそく》した――婦《をんな》の彫像《てうざう》を拵《こしら》へろ、其《そ》の形代《かたしろ》を持《も》つて来《こ》い。お浦《うら》を返《かへ》すと言《い》つたのを忘《わす》れたか、忘《わす》れたのか。」
と其《そ》の握拳《にぎりこぶし》で、己《おの》が膝《ひざ》を礑《はた》と打《う》つたが、力《ちから》余《あま》つて背後《うしろ》へ蹌踉《よろ》ける、と石垣《いしがき》も天守《てんしゆ》も霞《かすみ》に揺《ゆ》れる。
「待《ま》てよ。雖然《けれども》、自分《じぶん》の製作《こしら》へた此《こ》の像《ざう》だ、これが、もし価値《ねうち》に積《つも》つて、あの、お浦《うら》より、遥《はるか》に劣《おと》つて居《ゐ》たら何《ど》う
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