》まで畚《びく》の重《おも》い内《うち》は張合《はりあひ》もあつた。けれども、次第《しだい》に畜生《ちくしやう》、横領《わうりやう》の威《ゐ》を奮《ふる》つて、宵《よひ》の内《うち》からちよろりと攫《さら》ふ、漁《すなど》る後《あと》から嘗《な》めて行《ゆ》く……見《み》る/\四《よ》つ手網《であみ》の網代《あじろ》の上《うへ》で、腰《こし》の周囲《まはり》から引奪《ひつたく》る。
 最《もつと》も其《そ》の時《とき》は、何《なに》となく身近《みぢか》に物《もの》の襲《おそ》ひ来《く》る気勢《けはひ》がする。左《ひだり》の手《て》がびくりとする時《とき》、左《ひだり》から丁手掻《ちよつかい》で、右《みぎ》の腕《うで》がぶるつと為《す》る時《とき》、右《みぎ》の方《はう》から狙《ねら》ふらしい。頸首《ゑりくび》脊筋《せすぢ》の冷《ひや》りと為《す》るは、後《うしろ》に構《か》まへてござる奴《やつ》。天窓《あたま》から悚然《ぞつ》とするのは、惟《おも》ふに親方《おやかた》が御出張《ごしゆつちやう》かな。いや早《は》や、其《それ》と知《し》りつゝ、さつ/\と持《も》つて行《ゆ》かれる。最《もつと》も身体《からだ》を蓋《ふた》に為《し》て畚《びく》の魚《さかな》を抱《だ》いてゞも居《ゐ》れば、如何《いか》に畜生《ちくしやう》に業通《ごふつう》が有《あ》つても、まさかに骨《ほね》を徹《とほ》しては抜《ぬ》くまい、と一心《いつしん》に守《まも》つて居《ゐ》れば、沼《ぬま》の真中《まんなか》へひら/\と火《ひ》を燃《もや》す、はあ、変《へん》だわ、と気《き》が散《ち》ると、立処《たちどころ》に鯉《こひ》が失《う》せる。其《そ》の術《て》で行《ゆ》かねば、業《わざ》を変《か》へて、何処《どこ》とも知《し》らず、真夜中《まよなか》にアハヽアハヽ笑《わら》ひをる、吃驚《びつくり》すると鮒《ふな》が消《き》える、――此方《こつち》も自棄腹《やけばら》の胴《どう》を極《き》めて、少々《せう/\》脇《わき》の下《した》を擽《くすぐ》られても、堪《こら》へて静《じつ》として畚《びく》を守《まも》れば、さすが目《め》に見《み》せて、尖《とが》つた面《つら》、長《なが》い尻尾《しつぽ》は出《だ》さぬけれど、さて然《さ》うして見《み》た日《ひ》には、足代《あじろ》を組《く》んで四手《よつで》を沈《し
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