の旅を大反対の修《しう》さんの持つて来た話なのであるから、私は苦しんで居るのだ、出来さうにないわけだと私は思つて居た。茶の間へ来ると、
『母様《かあさま》は面白い人ね、平野さんのお父《とう》さんと話してたのでせう、平野さんぢやない人と話をするなんか。』
 と七瀬が云つた。平野さんだと云ふと、
『さう、やつぱし平野さんの子供の方なの。』
 と驚いたやうに云つて居た。子供の床《とこ》をとつて居るうちに倒れる程頭が痛んで来た。私は昼の着物を着たまゝで子供の寝る時刻から床《とこ》に入《い》つて居た。私は眠りさうなのであるが桃が明日《あした》の買物に行《ゆ》くと云ふのを留《と》めるのも何だと思つて、
『ああ。』
 と云つて出してやつた。桃は玄関の戸を閉め寄せて行つた。恐《こは》い夢を見て目を開くと九時であつた。桃を呼んで見たがまだ帰らないらしい。風が戸に当つて気味の悪い音を立てゝ居た。私は今見た夢の中の心持ちの続きも交つて居て恐しさにどうすれば好《い》いかなどゝ思つて居た。十五分程して桃が帰つて来たので嬉しかつた。頭痛はもう癒《なほ》つて居た。私は桃を寝させてからまた仕事をしだした。十一時頃に藤の裏葉を書いてしまつて、それから巴里《ぱりー》へ送る手紙を書いた。
 九日
 六時頃まで眠つたり覚《さ》めたりして居たが今日《けふ》も身体《からだ》は怠《だる》い。昨日《きのふ》送る筈だつた某誌の選歌をしようと思つて出しながら気が進まないので火鉢にじつと当つて居る処《ところ》へ金尾《かねを》さんが来た。源氏の再版の祝《いはひ》だと云つて煙草《たばこ》を十二|色《いろ》交ぜて持つて来てくれた。嬉しくてならなく思つた。飲むのよりも珍しもの好《ず》きの私が見たこともないやうないろいろの色をして交つた包《つゝみ》だの小箱だのが私の所有になつたのが嬉しいのである。土曜日であるから光《ひかる》と秀《ひいづ》は午後一人は木下さんへ、一人は本多さんへ遊びに行つた。三時過ぎにやつと選歌の原稿が出来た。もう一つこの仕事があると思ふと一層|身体《からだ》が怠《だ》るいやうに思はれて、机にもたれて風の吹き廻る庭を見て居た。古尾谷《こをたに》さんが見えた処《ところ》へ摩文仁《まぶに》さんも来た。この若い琉球の詩人と話すのに是非出さなければならない高い声が出さうに今日は思はれないから、前に話さないで本を出して古尾谷さんにふらんす語を教へて貫つて居た。摩文仁さんは帰つた。覚え憎いので今日《けふ》の稽古は見合せて貰つた。こんな頭の悪い時に習字でもして置かうと思つて自分の名だの良人の名だのを書いて居た。古尾谷さんに今朝《けさ》貰つた煙草《たばこ》を一|包《つゝみ》上げた。昨日《きのふ》程ではないがまだ頭痛がして来たので七時頃に横になつた。直《す》ぐ眠つてしまつて九時に目が覚《さ》めてまた十一時まで眠つた。起きてソツプを飲んでそれからこれをつけた。これから選歌をするのである。
 十日
 午前一時半に床《とこ》へ入《はい》つて、五時に目が覚《さ》めて六時過ぎに起きた。日々《にち/\》に送る歌を読まうとしたが娘さん達の来る頃だと思ふと何だか気が落ち着かなくて一つより歌が出来なかつた。女の子の二人は元園町へ遊びに行つた。送つて行つた秀《ひいづ》は帰つて来るとまた直《す》ぐ藤島さんへ行く光《みつ》と、水道橋の停車|場《ぢやう》まで一緒に行つた。天野さんが来て夫《それ》からお照《てる》さんが来た。桃の母親が仕立物を持つて来てくれた。私は大急ぎでつもり物を六枚分|拵《こしら》へてまた渡した。神保町で買つた襟をこの人に遣つた。二階へ行つて話して居る処《ところ》へ松本さんが来た。お照さんは歌を二つより持つて来なかつた。今日《けふ》は菊五郎|格子《がうし》の着物も着て来なかつた。お納戸地のあらい井桁の羽織を着て居た。可愛い顔をした人だと今日《けふ》も思つた。松本さんは入《はい》つて来た時に大きい背丈の人だと今日《けふ》も思つた。昨日《きのふ》の仮装会の帰りだと云つて阪本さんが車夫姿で来たから驚いた。良人《をつと》の手紙が配達された。謝肉祭《カイニバル》のことなどが書いてあつて、それから写真が着いたと云つて子供の顔がよく写つて居ない、私の焼鏝《やきこて》を当てた髪を下宿の細君が賞《ほ》めた、桃をふらんす人が美くしいと皆|賞《ほ》めるなどゝ書いてあつた。午後私は車に乗つて本郷へ行つた。生田《いくた》さんへ最初に行つたが生田さんはお留守であつた。奥様とお話して一時間程でお暇《いとま》した。庭からお座敷へ通る時の気持の好《い》い家だけれど、夢の中でよく入《はい》つて行《ゆ》く家のやうな暗い玄関は忘れたい気がする。千駄木町の平野さんの家へ行つて老夫婦に逢つた。大連|行《ゆ》きの支度で忙しさうであつた。森さんへ
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