年月の経験で今日に及んだのですから、一朝にして人間の新しい嗜好《しこう》を促すような混食や代用食が発明されようとは思われません。それに、混食や代用食の実行を以て今日の食料品の価格騰貴を切り抜けようとするのは全く見当違いです。物価の調節は政治問題であり、経済問題であり、また政治家と資本家との道徳問題、乃至《ないし》人生観の問題です。それらの方面に思い切った改革を要求せず、物価の暴騰を放任して置いて、唯だ大多数の経済的弱者である無産階級の人間に、その物質生活を退嬰《たいえい》し得るだけ退嬰せよ、飢えた動物のように如何なる不味《まず》い物でも取って露命だけを繋《つな》げというに等しい施設は愛をも聡明をも欠いた非人道的な施設だと思います。今日は一方に一人前の料理に百金を費す暴富階級が存在しているのです。それに対して一方に混食や代用食を取らねばならぬという大多数の人間のあるのは何たる偏頗《へんぱ》な社会状態でしょう。指導者たる婦人たちがこういう社会状態の矛盾と偏頗とに対して改造運動を起すことなく、強い者の放縦《ほうしょう》と不仁非道とを許容して置いて、私たち無産階級の弱い者ばかりを、節倹や、過労や、減食や、粗食に由って機械と動物との位地にまで追い詰め、追い詰め、低下させようと努力されるのを見ると、私は文化生活の意義を自覚しない指導者たちを持つことの危険に戦慄《せんりつ》します。

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 廃物利用奨励の愚挙であることはかつて別に述べましたが、贈答や送迎の廃止に熱中される婦人たちに対しても、その事の徒労であるのを私は気の毒に思います。贈答には自《おのずか》ら限度があります。昔から贈答に由って家を亡し産を破ったという例を聞きません。それが物質的理由で出来なくなれば、各自が気が附いて止めずに置かない性質のものです。飲酒の害と同一に言われないものです。私は酒さえも絶対に禁じることに反対しています。贈答の弊害や浪費を注意するのは好いに違いありませんが、贈答や送迎を単に金銭や時間の利害ばかりで批判するのは、愛や趣味のような大切な人間性の発揚を無視した野蛮な行為です。動物や自然人には贈答や送迎の必要がないかも知れませんが、こういう功利主義以上の感情生活を撥無《はつむ》して何処《どこ》に文化人の生活があり得るでしょうか。私はそれらの婦人たちが進んで芸術の無用をさえ説かれるに到る
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