、一は静かに内省し黙想する所がないために充実し精練された言語で簡明に述べるだけの何らの深奥な思想や的確な意見を持っていないからで、要するに原因は無智にあります。また女が感情に偏するといわれ、気分に左右されるといわれるほど僅《わずか》の事にも喜怒哀楽の変化が著しく、男をして女子と小人は養いがたしとまで歎ぜしめたのも感情を調整するに必要な智力を欠いているからです。また女が専ら愛情の世界に住もうとするのも無智の弱点を無意識に掩蔽《えんぺい》しようとするからであって、女が特に男子よりも愛の深い先天性を備えているという訳ではなさそうです。その愛というのも智力に介添《かいぞえ》されない盲目の愛ですから大抵利己主義的の愛に停まっています。ワイニンゲルが「女は我子に対しては母であるが、他人の子に対しては全く継母である」という意味の事をいっている通り、自分に親しい恋人や子に対しては絶対服従をも厭《いと》わぬ位に犠牲的な愛情を捧《ささ》げながら、自分に叛《そむ》いて少しでも厚意を持たない者に対しては忽《たちま》ち冷酷な態度を以て対し、愛する者の言うことは一も二もなく盲従しながら、反対な者の言行は悉《ことごと》く猜疑《さいぎ》の目を向けます。殊に同性に対しては意識無意識に敵視する感が附き纏《まと》い、相手の弱点を発見せねば已《や》まず、表面では褒《ほ》めそやしながら時を置かずに蔭口を利く風があって、男同志が偽らず飾らずに心と心を照し合うような女同志の親友というものは殆どないといって宜しい。これらも公平な智力の判断を欠いていて他人の長所を尊敬することが出来ないためであり、みずから内に恃《たの》む所が乏しいので動《やや》もすれば我が弱点に乗ぜられはしないかと思って出来るだけ自己を隠蔽し、かえって他人の弱点を摘発して無意識に自分の慰安にしようとするためであると思います。また女のヒステリイというものも生理的に原因する所と無智から起す感情の我儘とが相半《あいなかば》しているのであって、もし理性的に自制することに力《つと》めたならヒステリイに由って自他の苦痛を作ることはきっと半減するに至るでしょう。女が自分の見識や立案で自分を整調し外界を改造する征服性を欠いて、他人の意匠や指導に従って安易な路に就こうとする順応性に長じているのも、要するに無智がしからしめた第二の性癖だと思います。
智力的対
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