ある。此処に夫婦が成り立つ。次いで父母子弟乃至社会。」「社会があれば当然社会の協同生活を円滑にするために治者被治者の組織が生ずる。また社会の基点たる個人の天分と教育とに由って智識、感情、意志の差と職業の別とを生ずる」「個人としても社会人としても人はあらゆる幸福を享得せねばならぬ。幸福の最上なるものは個性を発揮して我が可能を尽すと共に、互に他の個性を理解し合い鑑賞し合うことである。」かようなる問題は古往今来の大問題であって容易に解決しがたい事ではあるが、今日世界の文明人は皆この問題に触れて、或者は懐疑に陥り、或者は解決の曙光《しょこう》を認めたといっている。これは冷たい学究の哲学問題ではなくて、御互自身の上に切実な根本問題である。

 こういう問題は遽《にわ》かに解決を得なくてもよい。婦人の頭脳がかかる根本問題に注意し、折に触れて識者に質《ただ》し、父母、良人、兄弟、友人とこれについて研究し合うという程度に達すれば、自然読書の習慣も生じ、智識も聡明となり、感情も豊潤を増し、在来の婦人の悪習たる猜疑嫉妬《さいぎしっと》の小感情や、低い物欲や、虚飾に浮身をやつす心も一洗せられ、良人の機嫌を取ったり台所の用事にかまけたりして貴重なる一生を空費するような事がなくなり、初めて文明男子の伴侶《はんりょ》として対等なる文明婦人の資格を作ることが出来ようと思う。そうして男子より軽侮せらるる事なく互に尊敬し合う位地に上ったならば、諸種の婦人問題は自然に解決が附くであろうと思う。

 男子側の保守主義者は英国婦人の参政権問題の運動を伝聞して婦人の覚醒を怖《おそ》れるようであるが、我国の婦人にはまだ容易にそういう突飛な運動は起らないであろう。なぜならば我国の青年には男子にさえ政治熱は皆無なのであるから、凡《すべ》ての学芸すべての社会問題に冷淡なる日本の女子が一躍そういう極端な新運動を試みようとは想われない。またそういう女壮士の殺風景な政治運動は故|中島俊子《なかじまとしこ》女史の娘時代や近年の故|奥村五百子刀自《おくむらいおことじ》の実例に見て、さまでなつかしい性質のものでないことは明瞭《めいりょう》であるから、今後幾年かの後に我国の婦人が覚醒するとしても、政治には向わないで、学問、芸術、教育などの方面に向って男子と競争の態度を取るであろうと想われる。殊《こと》に文学において日本婦人は侮《
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