不幸であるかは平塚さんも認められるでしょう。彼らが他日「母の職能を尽し得ないほどの貧困」に陥る危険が予想されているにかかわらず、その危険の時が来たら国家が彼らを保護する義務を当然持っているからと云って、現状のままに放擲《ほうてき》して置いて好いでしょうか。
平塚さんは「国家」というものに多大の期待をかけておられるようですが、この点も私と多少一致しがたいように考えます。平塚さんのいわれる「国家」は現状のままの国家ではなくて、勿論理想的に改造された国家の意味でしょう。それなら、個人の改造が第一の急務でなければなりません。改造された個人の力を集めなければ改造された国家は実現されないはずです。平塚さんは私への抗議の中で、なぜ「国家」を多く説いて、一言も個人の尊厳と可能性とに及ばれなかったのでしょうか。平塚さんの見識がもし個人の改造を首位に置かれたなら、女子を警醒して経済的に独立の精神を訓練させることが私たち各自の人格改造に最も急要な事実の一つであることを、私たちと共に同感されたであろうと思います。
「国家」の場合にだけ改造された国家を予想しながら、未来の女子と社会状態については改造されたそ
前へ
次へ
全17ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング