執って下すったということは真に想いがけない光栄であると感じます。
 平塚さんが日本における女流思想家の冠冕《かんべん》であることは、女史の言説や行動に服すると否とにかかわらず、社会が遍《あまね》くこれを認めております。山川、山田二女史に到っては、その出処が平塚さんほどに華々しくなかったために、その卓抜な実力がまだ一般世人の注意を惹《ひ》くだけの機会に達していないのを私は常に遺憾に思っているのです。教育の世界化に由って、女子の学士を出《い》だし、更に女子の博士をも出そうとしている日本に、聡慧篤実な新進女子の次第に殖えて行くべきことは予見されますが、それらの女子の先駆として大きな炬火《たいまつ》を執る一群の星の中に、特に鼎足《ていそく》の形を成しながら光芒の雄偉を競うものはこれらの三女史であると信じます。私は誇張でなく、真実を述べることの正しさにおいていいます。三女史の如きは女流小説家の翹楚《ぎょうそ》である某々女史たちや、婦人理学士の第一着者である某々女史たちと共に、確かに我国婦人界の宝の人であると思います。否、むしろ現在の日本の状態では、生きた新しい国宝と称すべき女史たちであるとさえ思
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