答えていいます、「勿論です」と。私は彼らがなお自労自活の能力を持ち、儲蓄《ちょちく》した財力を持つ限り、併せて彼らと反対の側に、彼らに多大の恩給や年金を支払うために無数の労働者がその労働価値の大部分を間接に彼らに献《ささ》げている限り、それは厳正な意味において屈辱的生活を以て目すべきものだと思います。唯だ習慣がそれを国家の寄食者として蔑視しないだけの事だと思います。
平塚さんはその中に「俸給生活」をも数えて質問されましたが、俸給は労働に対する正当な報酬です。それを受取る権利が俸給生活者自身にあります。国家の保護と称すべきものではないでしょう。
山田さんは「婦人は一家を主宰し、子供を養育する、その報酬として男子に金を払わせる。貰《もら》うというのでなくて納めさせるという事にしなければなりません」といって良人の保護を要求し、大学の教授や国会議員が年俸を貰うのと同じく、「場合に由っては、国家から補助を受ける事は当然だ」といわれ、平塚さんも同様の意味で「母が国家から報酬を受けることも恩恵に与《あずか》ることでないはずです」といわれ、山川さんもほぼ同様の意見を述べておられます。要するに、母を一面において家庭及び国家の俸給生活者たらしめる事に由って、寄食者の名を免れしめ、経済的無力者の位地に安心して落着かせようとされるのです。
山川さんはさすがに気が咎《とが》めたらしく、「母の仕事を経済的価値に踏むことを今までは一般に嫌っておりました。それに違いありません。……といって母は神様ではないから、衣食の資料は要《い》らないといって澄《すま》している訳にも行きません」といい添えられました。衣食の必要がありながら、また、どうにかして実現し得る労働の能力と機会とを持っていながら、凡《すべ》て母の仕事に匹敵する精神的生活者が、心的にも体的にも経済行為を取らずに、唯だ専ら精神的生活者であるという功労を以て国家の俸給に衣食したいと要求したら、山田さんはそれを是認されるでしょうか。
私は母性の国家的保護に対して多く直観的に不可として来たのですが、近頃河上博士の「経済上の富の意義」を読んで、私の直観に学問的解釈を附け得たことを喜びました。博士は「経済学上の富としからざるものとの間には……理論上明確なる標準あるものにて、即ち人為を以てその生産及び分配を左右し得らるるものはこれを経済上の富とし、しからざるものは経済学上の富に非《あら》ずと為す」といわれ、この理由から、人間の労力もその中の或種のものに至っては、生産はともかく、少くもその分配は或程度まで人為を以て左右し得られる結果、経済学上、殊に分配論上の対象となっていることを述べられた中に、家庭外の婦人の労働が経済学上の重大なる問題の一つとなっているに反し、母としての婦人の家庭内における労働は経済上の問題となる性質のものでなく、良妻賢母の「分配」などは今日|真面目《まじめ》な問題となしがたいといわれております。私は山川さんが、「家庭における婦人の労働は、畢竟《ひっきょう》不払労働でなくて何であろうか」と憤慨されたのは、如何なる労働も凡て経済的価値に換算し得るものだと誤解されているからだと思います。
非常に紙数を超過しました。あとは略して置きます。(一九一八年九月)
[#地より1字上げ](『太陽』一九一八年一一月)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「心頭雑草」天佑社
1919(大正8)年1月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
2003年5月18日修正
青空文庫ファイル:
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