ると思っています。その必要も人間の進化が精神的に高まって行くに従って減少して行かねばならぬ性質のものです。人間が真の福祉に生きる理想生活の実現される時は経済的労働から解放された時であろうと思います。この意味において、私は資本主義的経済関係に束縛されている現在の低級な人類生活を、更に層一層より[#「より」に傍点]善き理想的秩序の中へ進化させようとする共通の目的において一致した凡ての新思想と凡ての新主義に味方する者です。山川さんがこれを反対に忖度《そんたく》して、私の議論が専ら資本主義の勃興《ぼっこう》に伴う社会的変化を顧慮し、その範囲において「かかる難境を無難に漕《こ》ぎ抜けるにはどう[#「どう」に傍点]したら好いかという問題を中心としている」といわれたのは、それは花の日会や救世軍などの慈善運動に奔走する婦人たちにこそ適評となるでしょうが、私に対しては「否」という外はありません。
 しかし千里の路も一歩から初めます。人間生活は長足の進歩をしたとはいえ、高遠な理想生活の全階段からいえば、まだ物質的条件が優勢な位地を占め、主客|顛倒《てんとう》して、財貨の多少が精神生活の上にかえって支配権を持つほどの低級な階段にある以上、私たちはこの眼前の事実を無視する訳に行かず、それが必要である限り、一方に経済生活を充実させることに由って精神生活を維持し、向上し、現在の社会状態に身を置きながら、それと反対の高遠な理想生活の方へ自己の全生活を照準し、現在の境遇と実力との可能な範囲において、社会状態を手近なるより[#「より」に傍点]善き秩序の下に次第に征服し、改造して前進することが唯一にして且つ聡明な仕方だと思います。現代の倫理学、経済学、法律学、社会学、美学、政治学の凡てが、この意味の生活改造を私たちに暗示しないものはありません。
 私は山川さんの立場とせらるる社会主義とても、それが物質的社会主義の範囲にある間は、決して絶対最高の理想生活に応じるために設けられる絶対最高の社会的秩序ではなくて、物質的条件の必要な現代生活を眼中に置いて、資本主義的精神と金銭万能主義との不法に優勢である社会状態の中に住みながら、それを幾段か高い、より[#「より」に傍点]よき秩序に拠って改造しようとするに外ならないと思います。
 私は「より善き秩序」のいくつも提供されることを望みます。私が前に、共通の目的におい
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