ある日本の女が何が巴里の女に及び難いかと云へば、内心が依頼主義であつて、自ら進んで生活し、其生活を富まし且つ樂まうとする心掛を缺いて居る所から、作り花の樣に生氣を失つて居る事と、もう一つは、美に對する趣味の低いために化粧の下手なのとに原因して居るのでは無いか。日本の男の姿は佛蘭西の男に比べて隨分粗末であるが、まだ其れは可いとして、日本の女の裝飾はもつと思ひ切つて品好く派手にする必要があると感じた。
松岡氏と良人と自分がアン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]リイドの停車場からロダン先生を訪ふ爲にムウドン行の汽車に乘つたのは、初めて詩人レニエ先生を訪うた日の午後であつた。此汽車は甲武線の電車の樣に、街の中を行きながら家竝よりは一段低く道を造つた所を走るのである。短距離にある市内の停車場《ステエシヨン》を七つばかり過ぎて郊外へ出ると、涼しい風が俄に窓から吹き込んで來るのであつた。暗がりから明るみへ出た樣な氣味で自分は右と左を見廻して居た。近い所も遠い所も家は低くてそして代赭色《たいしやいろ》の瓦で皆|葺《ふ》いてある。態とらしく思はれる程その小家の散在した間間に木の群立がある。雛罌粟《コクリコ》の花が少しあくどく感じる程一面に地の上に咲いて居る。矢車の花は此國では野生の物であるから日本で見るよりも背が低く、菫かと思はれる程地を這つて咲いて居る。自分が下車すると、例の樣に、
「ジヤポネエズジヤポネエズ」
と云つて、一汽車の客が皆左の窓際へ集つて眺めるのであつた。自分は秋草を染めたお納戸の絽の着物に、同じ模樣の薄青磁色の絽の帶を結んで居た。停車場の驛夫にロダン先生の家へ行く道を聞くと、彼處をずつと行けば好いと云つて岡の下の一筋道を教へて呉れた。馬車などは一臺もない停車場である。眞直に突當つてと云はれた道が何處迄も果ての無い樣に續いて居る樣なので、自分は男達に後れない樣にして歩きながら時時立留つて汗を拭いては吐息さへもつかれるのであつた。松岡氏と良人とは逢ふ人毎に目的の家を尋ねて居る。逢ふ人毎と云つても一町に一人、三町に二人位のものであることは云ふ迄もない。粉挽小屋の職人までが世界の偉人を知つて居て、
「ムシユウ・メモトル・ロダン」
と問ひ返して、其返事を與へる事に幸福と誇りとを感じて居るらしいのを見ると、自分は涙ぐましいやうな氣分にもなるのであつた。
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眞赤な土がほろほろと……
だらだら坂の二側《ふたかは》に
アカシヤの樹のつづく路。
あれ、あの森の右の方、
飴色をした屋根と屋根、
あの間から群青《ぐんじやう》を
ちらと抹《なす》つたセエヌ川。
涼しい風が吹いて來る、
マロニエの香と水の香と。
之が日本の畑なら
青い「ぎいす」が鳴くであろ。
黄ばんだ麥と雛罌粟《コクリコ》と、
黄金にまぜたる朱の赤さ。
誰《た》が挽き捨てた荷車か、
眠い目をして路ばたに
じつと立つたる驢馬《ろば》の影。
「ロダン先生の別莊は。」
問ふ二人より側に立つ
キモノ姿のわたしをば
不思議と見入る野良男《のらをとこ》。
「ロダン先生の別莊は
ただ眞直に行きなさい。
木の間からその庭の
風見車《かざみぐるま》が見えませう。」
巴里から來た三人の
胸は俄にときめいた。
アカシヤの樹のつづく路。
[#ここで字下げ終わり]
やつと其道の盡きる處まで來た。其處は自分達の今乘つて來たのとは異ふ別の汽車道の踏切である。そして一層人氣のない寂しい道へ自分達は出た。二町程來た時前を行く人を呼んで松岡氏が尋ねると、ロダン先生の邸は直ぐ此處の左で、其處に門がある、そしてずつと奧に家があると云ふのであつた。見ると牧場の柵の樣な低い木の門が其處にある。マロニエの木が隙間もなく青青と兩側に立つて居た。然し人の通ふ道の上には草が多く生えて居る。右の掛《かか》りに鼠色のペンキで塗つた五坪位の平屋《ひらや》がある。硝子窓が廣く開けられて入口に石膏の白い粉が散ばつて居るので、一見|製作室《アトリエ》である事を自分達は知つた。けれど之は弟子達のそれであらう、床も天井も低い、テレビン油で汚れた黒い切の澤山落ちて居るこの狹い室が世界の帝王さへも神の樣に思つて居るロダン先生の製作室だとは入つて暫くの間自分には思はれなかつた。白い仕事着を着た頤鬚《あごひげ》のある、年若な、面長な顏の弟子らしい人と男達の話して居る間に、自分は眞中に置かれた出來上らない大きい女の石膏像を見て居た。矢張りロダン先生が此處で仕事をされるのであると思つた時自分の胸は轟《とゞろ》いた。半から腕の切り放されてある裸の女は云ひ樣もない清い面貌《おもわ》をして今や白熱の樣な生命《いのち》を與へられようとして居る。先生は巴里の家の方においでになつて夕方でないと歸られない、殊に今日は他家《よそ
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