リツクで降りた。この停車場は餘程地の上へ遠いのでエレベエタアで客を上げ下しもするのである。音樂の囃を耳にしながら何方へ行かうかと暫く良人と自分は廣場の端を迷つて居た。聞いた程の人出は未だないが、ルナパアク式の興行物の多いのに目が眩む樣である。高く低く上り下りしながら廻る自動車臺の女七分の客の中に、一人薄絹のロオヴの上に恐ろしい樣な黒の毛皮の長い襟卷をして、片手で緋の大きな花の一輪附いた廣い帽を散すまいと押へた、水際だつて美しい女が一人居た。子供客は作りものの馬や豚に乘せて回轉する興行物に多く集まつてゐる。聞けばミカレエム祭や謝肉祭のやうに人が皆假裝をして歩いたり、コンフエツチと云ふ色紙の細かく切つた物を投げ合つたりする事はこの日の祭にはないのである。自分等はそれからルウヴル行の市街電車に乘つた。初めて自分は二階の席へ乘つたのである。細い曲つた梯子段に足を掛けるや否や動き出すので、其危ないことは云ひ樣もない。唯この蒸暑い日に其處ではどんなに涼しさが得られるか知れないと云ふ氣がしたのと、ルウヴルが終點であるから降りるのに心配がないと思ふからでもあつた。この祭は勞働者を喜ばす祭と云はれて居るだけあつて、高い席から見て行く街街の料理店《レスタウラン》には酒を飮んで歌ふ男の勞働者、嬉しさうに食事をして居るマリイの樣な女の組が數知れず居た。惡い氣持のしない事である。自分等は電車から降りてルウヴル宮に沿うたセエヌの河岸のマロニエの樹下道を歩いてトユイルリイ公園へ入つた。上野の動物園前の樣な林の中の出茶屋《でぢやや》で休んで居ると、傍で鬼ごつこを一家族寄つてする人たちも居た。コンコルドの廣場へ出ると各州を代表した澤山の彫像の立つて居る中に、普佛戰爭の結果、獨逸領になつたアルサス、ロオレン二州の代表像には喪章が附けられ、うづだかく花輪が捧げられてあるのを見て、外國人の自分さへもうら悲しい氣がした。花を手向けたい樣な氣もした。けれど其廻りを取卷いた人達は何も皆悄然として居るのではない。未來に燃える樣な希望を持つ人らしい面持が多いのであつた。それから自分等はシテエ・フワルギエエルの滿谷氏の畫室近くまで、また地下電車に乘つて行つたが、滿谷氏等はもう祭見物に出掛けた跡であつた。それから、カンパン・プルミエの徳永さんの畫室まで歩いて行つた。氏とは昨夜宵祭を見て歩いたのである。日本の話をした後で
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