巴里の獨立祭
與謝野晶子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)平生《ふだん》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「井に濁点」、564−16]クトル
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七月十三日の晩、自分は獨立祭の宵祭の街の賑はひを見て歸つて、子供の時、お祭の前の夜の嬉しかつたのと殆ど同じほどの思ひで、明日着て出る服や帽を長椅子の上に揃へて寢た。夜中に二三度雨が降つて居ないかと聞耳を立てもした。けれど、それは日本の習慣が自分にあるからで、高い處に寢て居る身には、雨が地を打つ音などは聞えやうが無い。マロニエの梢を渡る風がそれかと思はれるやうな事がままあるくらゐである。そんなに思つて居ながら、夜更かしをしたあとなので、矢張朝が起きにくい。それに、此處は四時前にすつかり空が明るくなつてしまふ。神經質の自分には、到底安眠が續けられないので、眠い思ひをしながら何時も起き上るのである。顏を洗つて髮を結つた時、女中のマリイがパンとシヨコラアを運んで來た。まだ八時前で、平生《ふだん》よりも一時間ほど朝の食事は早いのである。
「お祭を見に出るか」
と良人が云ふと、
「ウイ、ウイ」
と點頭きながら答へるマリイの目は嬉しさに輝いて居た。
「祭は午後でないと見に行つても面白くないのだよ」
と良人に云はれた時、自分はまた子供らしい失望をしないでは居られなかつた。讀書をして居ると十時前にマリイが廻つて來た。何時もは午後四時過ぎでないと來てくれないのである。良人が市街の地圖を出して、何處が一番賑やかなのかと聞くと、プラス・ペピユブリツクだと云ふ。其處は巴里市内の東に當つて革命の記念像が立つて居る廣場である。マリイは十一時頃に晴着のロオヴを着て出掛けて行つた。自分はトランクの上の臺所で晝御飯の仕度にかかつて、有合せの野菜や鷄卵《たまご》や冷肉でお菜を作つた。お祭だと云ふ特別な心持で居ながら、やはり二人ぎりで箸を取る食事は寂しかつた。一時半頃に服を更へて家を出た。
「まあペピユブリツクへ行つて見るんだね」
と良人は云つて、ピガル廣場から地下電車に乘ることにした。人が込むだらうからと云つて一等の切符を買つたが、車は平生よりも乘客《のりて》が少かつた。同室の四五人の婦人客は皆ペピユブ
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