《キヤツバレエ》などの多い、巴里人の夜明し遊びをしに來る所と成つて居るのである。十二時にならないと店を開けない贅澤な料理屋も其處此處にある。芝居歸りの正裝で上中流の男女が夜食を食べに來るのだ相である。夜が更けるに隨つて坂を上つて來る自動車や馬車の數が多くなつて行く。そんな處に近い※[#「井に濁点」、539−13]クトル・マツセ町の下宿住居が、東京にも見られない程靜かな清清した處だとは自分も來る迄は想像しなかつたのである。通りに大きな鐵の門があつて、一直線に廣い石の路次がある。夜はその片側に灯が一つ點る。路次の上には何階建てかの表の家があることは云ふ迄もない。突當りは奧の家の門で横に薄青く塗つた木製の低い四角な戸のあるのが自分達の下宿の入口である。同じ青色を塗つた金網が花壇に廻らされて居る。横が石の道で、左手の窓際にも木や草花が植つて居る。欄干《てすり》の附いた石段が二つある。此二つの上り口の間が半圓形に突き出て居て、右と左の曲り目に二つの窓が一階毎に附けられてある。自分の居るのはこの半圓の間の三層目に當るのである。内方からは左になる窓の向うには庭のアカシヤが枝を伸して居る。木の先は未だ一丈許りも上に聳えて居るのである。下を眺めると雛罌粟や撫子や野菊や矢車草の花の中には青い腰掛《バンク》が二つ置かれて居る。けれども自分を京都の下加茂邊りに住んで居る氣分にさせるのは、それは隣の木深い庭で、二十本に餘るマロニエの木の梢の高低が底の知れない深い海の樣にも見える。一番向うにある大きいマロニエは其背景になつて居る窓の少い倉庫《くら》の樣な七階の家よりも未だ勝《すぐ》れて高い。木の下は青い芝生で、中に砂の白い路が一筋ある。薔薇の這つた門や陶器《せともの》の大きい植木鉢に植ゑられた一丈位の柘榴《ざくろ》や櫻の木の竝べられてあるのも見える。其家の前は裏の通なのであるが、夜更にでもならなければ車の音などは聞えて來ない。この隣と自分の居る家との間には平家になつた此處の食堂があるのであるが、高い處からは目障にもならない。右の窓から青い木が見える。そして向ふの方に蔦の附いた趣のある壁が見える。メルルと云つて日本の杜鵑《ほととぎす》と鶯の間の樣な聲をする小鳥が夜明には來て啼くが、五時になると最早《もう》雀の啼き聲と代つて仕舞ふ。白いレエスの掛つた窓を開けると、何時も何處にあるのか知らないが白楊
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