あつた。里に預けて置いた三番目の娘が少し病氣して歸つて來た。附いてる里親の愛に溺れ易いのを制する爲めに看護婦を迎へたりして其兒に家内中が大騷ぎをして居る中へ、四歳になる三男の麟《りん》が又突然發熱した。叔母さんも女中達も手が塞がつて居るので書齋の自分の机の傍へ麟を寢かせて自分が物を書きながら看護して居た。温厚しい性質《きだて》の麟は一歳違ひの其妹よりも熱の高い病人で居ながら、覗く度に自分に笑顏を作つて見せるのであつた。而して無口な子が時時片言交りに一つより知らぬ讚美歌の「夕日は隱れて路は遙けし。我主よ、今宵も共にいまして、寂しき此身を育《はぐく》み給へ」と云ふのを歌ふのが物哀れでならなかつた。自分はそんな事を思ひ出しながら歩くので、巴里の文明に就いては良人が面白がつて居る半分の感興も未だ惹かない。過去半年に良人を懷ふ爲に痩せ細つた自分は、歐洲へ來て更に母として衰へるのであらうとさへ想はれる。
日本服を着て巴里の街を歩くと何處へ行つても見世物の樣に人の目が自分に集る。日本服を少しく變へて作つたロオヴは、グラン・ブル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]アルの「サダヤツコ」と云ふ名の店や、巴里の三越と云つてよい大きなマガザンのルウヴルの三階などに陳《なら》べられて居るので、然《さ》まで珍しくも無いであらうが、白足袋を穿《は》いて草履《ざうり》で歩く足附が野蠻に見えるらしい。自分は芝居へ行くか、特別な人を訪問する時かの外は成るべく洋服を着るやうにして居る。併し未だコルセに慣れないので、洋服を着る事が一つの苦痛である。でも大きな帽を着ることの出來るのは自分が久しい間の望みが達した樣に嬉しい氣がする。髮を何時でも剥《む》き出しにする習慣がどれ丈日本の女をみすぼらしくして居るか知れない。大津繪《おほつゑ》の藤娘が被て居る市女笠《いちめがさ》の樣な物でも大分に女の姿を引立たして居ると自分は思ふのである。丸髷《まるまげ》や島田《しまだ》に結つて帽の代りに髮の形を美しく見せる樣になつて居る場合に帽は却て不調和であるけれども、束髮姿《そくはつすがた》には何うも帽の樣な上から掩《おほ》ふ物が必要であるらしい。自分は今帽を着る樂みが七分で窮屈なコルセをして洋服を着て居ると云つて好い。
モンマルトルと云ふのは、山の樣に高くなつた巴里の北の方にある一部の街で、踊場や珈琲店《カツフエ》、酒場
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