どその後ではきつと女の十九と云ふのはいい年でございますねと付け加へて居たのを見るとそれも当にはならない。娘の評判が立つと用もないのにその門を往来したり遠まはりしたりする男は沢山あつたものだ。
娘は毎日美くしい蜂が花から密を運ぶやうに仕事のやうにまた慰みのやうに草を干したり水を汲んだりして居た。娘の家の直ぐ前を川が流れて居た。
[#ここで字下げ終わり]
こんな書きさしの原稿が置いてある。江南さんのお書きになりさうなものだと思ふのであるが佐藤さんのやうでもある。硯の下から大學さんのはがきと三田の文学会の切符が七八枚出たのでいよいよ佐藤さんのだと思つた。歌の撰を清書だけ明日に残して帰つて来た熊七の見て来た話を聞いた。



底本:「早稲田文学」早稲田文学社
   1912(明治45)年1月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にをあらためました。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年2月16日作成
2003年5月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aoz
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