現し足りないとは思はない。裸男の大勢の力が集められて居ても大海や空に比べては小さいものであらうから。
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木立みな十字にとがり太陽も十字に光る冬枯の上
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 どの木も十字に見え、それに射《さ》す太陽の光も十字の形に落ちて来るとより見えない、寂しい冬枯の日の園の景色。
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象の背の菩薩の如く群青《ぐんじやう》と白の絵の具の古び行く秋
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 象の背に乗つて居る普賢《ふげん》菩薩の古い仏画のやうに、秋は白であつて群青色であつて、そして日日その仏画のやうに古く錆びが附て行くと云ふのであつて、作者が思つて居る普賢の像の著衣は青色の鉱物性の顔料で描かれたものであつて、顔には厚く胡粉が重ねられてあるのであらう。其れのみならず初めから灰色を塗られた象の姿も作者の目に映つて居る筈《はず》である。更け行く秋を作者はこんな風に見た。
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一切に背を向けながら入る如き甘さを感ず劇場の口
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 芝居の入口に達した時の心もちに、是れで一時的にもせよ世間と断たれた世界へ身を置くことになると云ふ満足がある。気に入らぬ一切の物に背を向けて遺ることの出来る快感を感じるのはこの時であると仄《ほの》かながらも覚えると云ふ歌。
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かの隅になにがし立ちて叫べども振る手のみ見ゆ群衆の上
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 一方の隅に名士の某が立ち高い声を放つて演説をしてゐるやうであるが、何も聞《きこ》えるものでない、大衆の居る上に振る手だけが滑稽に見えるだけであると云ふのであるが、議論をする事を嫌つた後年の作者は、さうしたものは皆無用な精力の浪費であると云つて、若い人は創作をのみ熱心にすべきであると説いて居た其の心もちと取るべきである。
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拳《けん》を打つ二人の男たやすげにすべてを拒む形するかな
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 拳と云ふものを目に見ない人には一寸《ちよつと》解り難い歌かも知れぬ。手の指を種種な形にして相手と亘《わた》り合ふのであるが、其の中に二つの手を前向けに立てて突出す形がある。指の二三本で変つた形をして居る時よりもこの時の形が派手で目に附き易い。形は物を拒否する姿になつてゐる。
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