いのです。この意味において、我国には今日まで真の国民の味方となった政治家というものはありません。国民の真の味方は国民を以て赤子《せきし》とし、国民の休戚を以て大御心とせられる歴代の天皇があらせられるばかりです。我国の天皇が専制の君主にましまさぬことは、我々が太陽の光の博愛平等であるのを疑う余地のない如くに昭々たる事実です。政治家という政治家が悉く国民を凌辱する官僚主義者である証拠には、古来の政界の改造がすべて甲の官僚主義者と乙の官僚主義者との更迭《こうてつ》以外に何らの意味もなく、藤原氏の独占していた政権が平氏に移り、平氏がこれを源氏に奪われ、北条、足利、織田、豊臣、徳川の諸氏が次第にこれを奪って独占したという歴史があるので明白です。偶《たまた》ま豊臣氏のように微賤から出た政治家があっても新しい官僚政治家が一人殖えただけで、政治に対する国民の権利を官僚から取返してこれを国民に分配したというのではありません。
 代議政治は国民の一切が国民みずからの生活の幸福な発展を目的として、法律を制定すると共に、一切の政治を運用しかつ監督する権能を発揮する政体です。しかるに官僚と政党とは代議政治の採用
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