伐の口吻《くちぶり》と比べて少しも進歩していないのに驚かれます。殊に寺内氏の演説に対する憲政会の「弁妄書」が寺内氏らにも劣らぬ官僚臭味を暴露しているのは、正直とはいえ、また余りに国民の要求と懸隔しているのを憐れまずにはいられません。「吾人は必ずしも政党員にあらずんば内閣員たるを得ずと主張するものにあらず」といい、「単に衆議院における多数党の代表者を以て内閣を組織せざるべからずと決議したることなく、声明したることなく、主張したることなし」といい、「内閣組織に当りて貴族院の勢力を度外視するを得ず」というような見苦しい弁疏《べんそ》を、平民の真の味方である大政党の言論として憲法発布後三十年の今日に聞くに到っては時代の逆行、民主思想の退歩として呆《あき》れざるを得ません。これもまた国民を愚弄することの甚だしいものであると思います。
私は敢てこの小さな窓から全日本人に問い掛けます。我々は今こそ真実の個人の権利を以て生きようと自覚すべき時機ではありませんか。我々の生存に必要な政治上の権利を官僚と官僚の変形である既成政党との久しく壟断《ろうだん》するのに放任して置いて、それを自由に行使することを怠っていたということに今こそ我々は気が附かないでしょうか。
我々は今日まで政治に対して全く冷淡でなかったかも知れません。しかしながら代議政治の意義と必要とに対する我々の理会と同感とが非常に不足していたことは否定することが出来なかろうと思います。もし政治が日本人全体の生活に重要な機関の一つであり、その振張《しんちょう》と弛緩《しかん》とが直ちに国民の一組成分である個人の生活の休戚に影響することであり、代議政治はその個人の休戚を調節するために個人の自由意志から選抜した代表者が政治を運用しかつ監督する政治であり、従って政治の善悪は日本人において一人として直接の責任を回避することの出来ないものであることを皆さんが徹底して知っておられたならば、皆さんはこれまでのように選挙民として投票権を粗末に使用することもなく、代議士として一国の政治を官僚もしくは政党という一部階級の権勢利福の資料に供することもなかったに違いありません。
代議政体の下にあっては、国事は皆さんの家事の一部であり、国政は皆さんの家政の一面であると言われます。そうして選挙民と代議士との関係は植物における葉と花との関係でなくてはなりま
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