を持たず、政見を持っていても、その政見を出来るだけ責任を以て実行しようとする倫理観念の堅固でない人ならば我々国民の代表者として信任することが出来ません。
その政見は鋭敏な直覚と精密な理性を基礎とし、未来にわたる世界の大勢と、国民の知識的、経済的、倫理的現状とに考えて、専ら日本人全体の利害のために国政の本末軽重を取捨し整調する合理的、具体的の意見に富んでいて、しかもそれが選挙民自身の意志を満足せしむる意見でなくてはなりません。政見を以て国民の信任を求めようとしないような候補者は国民の代表者たる資格のない人間であることを徹底して知って置く必要があります。単に名望家であり、財産家であるということや、前大臣、前代議士、前知事、予備将校であるということやは、代議士たる資格として何の必要条件でもありません。何よりもその候補者の政見に思想及び知識の背景があるか、どの点まで世界及び日本の現状に照して実用主義的であるか、その政見は景気の好い一時的の口約束でなくて、あくまでも実行の責任を持った発言であるかを商量することが太切だと思います。
これまでの候補者はしばしば選挙民に媚《こ》び、もしくは選挙民を欺いて、その一地方のためにあるいは鉄道を敷設するとか、あるいは郡役所を移すとかいう直接の利益を計ることを口実としていましたが、国民はそれらの交換問題に由って投票の良心を左右されてはなりません。衆議院議員は日本の国是《こくぜ》を討議するための国民の代表者であって、府県会議員のように一地方の利害問題に局促《きょくそく》たるべきものではありません。そういう口実を信頼して選挙する人は、その神聖な選挙権をみずから侮辱していることに当ります。
多数の候補者の政見はあくまでも選挙民の心の中において批判されることを要します。候補者の意見に盲従したのは在来の愚劣な習慣でありました。今後の政治を賢い立憲政治とするには、選挙民自身が他人の意見や勧誘に雷同し屈従することなく、聡明な個人主義の見地から候補者の意見を批判し、その合理的であることが正しく腑《ふ》に落ちて、自分の要求と共鳴することを発見した上で、初めて自分の代表者たる聖職をその候補者に委任するようにせねばなりません。それでこそ衆議院における代議士の発言は民意の真の代表であり、衆議院の制定した法律と、協賛した歳計予算とは国民自身の責任に帰して遺憾がな
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