とにせちがらく物質化されねばならない生活を殺風景だと思います。
 今年の元旦の『大阪朝日』に笠原《かさはら》医学博士が前野良沢《まえのりょうたく》とゲエテとの事を書かれた美しい一文を読むと、良沢が明和八年四月四日に千住《せんじゅ》の|骨ヶ原《こつがはら》で杉田玄白《すぎたげんぱく》、中川淳庵《なかがわじゅんあん》と、婦人の死屍《しし》の解剖に立会い、その実験に由って、四年の後の安永三年に、日本で初めて系統的に記載された医書『解体新書』が良沢と玄白との苦心の結果、世の中に公にされた事を叙し、更に博士はそれと対照してワイマルのイルム川のほとりに流れ寄った美くしい少女の死屍を前にして、二人の男が大きな解剖刀を執って何か争っている。老人の方はストラスブルグの大学の解剖学教授ロオブスタイン博士であり、若い男の方はまだ当時医学生であった青年のゲエテである。白い鬚《ひげ》の目立つ、黒い上衣を著けた老人は、金髪の少女の死屍の解剖を頻《しき》りに若い男に勧めた。白い襟巻《えりまき》のようなものをぐるぐると首に巻き、空色の長い上衣を著て、半袴《はんばかま》を穿《は》いた、眼の非常に大きい男は、頭を振って「
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