人参政権を要求されなかったのかと思います。といって、この方の請願には私も快く賛成を表する一人であることを明言して置きます。
 それよりも、私が全く異様の感を持たずにいられなかったのは第二の請願です。花柳病が怖るべき伝染病であり、家庭、社会、及び子孫に対して悲惨なる害毒を流しつつあることは言うまでもないことですが、この種の戦慄すべき病症は、科学的正確を以ていえば、結核や癩病と共になお外にいくつも列挙することが出来ます。花柳病と併せてそれらのものが駆逐されるのでなければ、人類の幸福は常に幽欝《ゆううつ》な陰影を伴うことを免れません。平塚さんたちは民法の中の婚姻の規定に「結婚せんと欲する男子は、先ず相手たる女子に、医師の健康診断書を提示し、花柳病患者にあらざる旨を証明すべし」というような項目を加えようとされるのですが、単に「花柳病」と限らずに、総括して、伝染病及び遺伝病の患者とする方が合理的ではないでしょうか。
 また男子にのみ診断書を請求するのも私は不公平だと思います。これについて平塚さんたちは幾多の理由を挙げておられますが、その不公平を弁護する理由として非常に薄弱です。「未婚男女患者の該病患者の数の差異は殆《ほとん》ど調査を必要としないほど、男子の方が遙かに多い」のは事実ですが、専門医師の確言する所に由れば、今日は未婚女子の花柳病もまた激増しつつあるといいます。それの原因が「十中八、九まで男子の放縦生活」に由来していることも事実ですが、とにかく、花柳病患者は未婚男女のいずれにも伏在しているのです。この事実を公平に観察しないで、男子のみに診断書を請求するのは間違っていると思います。
 なお、平塚さんたちは、この要求は男子に対し「道徳的な家庭婦人の立場からするもの」であり、「かつこの疾病は他のものと異り、その性質上、男子の或不道徳的行為の結果として来たものでありますから、幾分それに対する処罰の意味をも含むもの」であることを理由とされています。私は此処に平塚さんたちが道徳家を以て自ら任ぜられることの大胆に一たび驚き、また人間が人間を罰することの可能を確信せられることの僭越《せんえつ》に二たび驚きます。私の狭い考からは、現在のような環境に置かれた人間は、男も女も立派な道徳的立場などには到底立ち得るものでないと思っています。たとい道徳的な生活が出来たにしても、私たちの理想とする新道徳からは、他人を処罰する事などは思いも寄りません。この点で、私は新しい刑法学が懲罰主義や報復主義を排斥して隔離主義を主張しているのに共鳴します。私は平塚さんたちの態度が意外にも矯風会あたりの基督《キリスト》教婦人の態度に何となく似通う所のありはしないかということを恐れます。世間には資本家専制の反動として労働者専制の発生を杞憂《きゆう》する人たちがありますが、私は男子専制の横暴に代えるに女子専制の不作法を以てしてはならないと思います。人間が他人を処罰する資格を何処に持っているでしょう。それの認容されるのは階級道徳の世界に限ります。他人を処罰する思想からは強食弱肉の半獣世界が引出され、軍国主義や特権主義が跋扈《ばっこ》して、平等と自由と愛とに確保された人類の平和というものが期待されなくなります。私は平塚さんたちのいわゆる「道徳的な家庭婦人の立場」が、そのような旧道徳の中にあろうと想われません。恐らくそれは智者にも免れない千慮《せんりょ》の一失《いっしつ》でしょう。
 それよりも更に私の疑問とする所は、この請願において、平塚さんたちが現在の因習的結婚を許容されているらしく想われることです。協会の他の婦人たちは知らず、少くも平塚さんは私たちと同じく恋愛結婚の主張者であるのに、恋愛を基礎条件としない現在の結婚の範囲において、この請願を出されているのは意外です。平塚さんが恋愛結婚の主張を決して放棄されていないことは、協会の事業として別に「恋愛及び結婚の正しき思想の宣伝」の計画があるので推定されますが、それならば恋愛結婚と「花柳病男子の結婚制限」の請願とがどうして調和しているかをお尋ねしたいと思います。
 私たちに取っては、恋愛の成立と完成が結婚の基礎であり目的であるのです。結婚が恋愛に先立つことはありません、先ずその結果として来るものだと考えています。しかるにこの請願で見れば、男女相互の間に恋愛の成立することを唯一の重要条件としないで、「先ず相手たる女子に医師の健康診断書を提示し、花柳病患者にあらざる旨を証明すべし」「現在花柳病に罹《かか》れる男子は結婚する事を得ず」という法律が結婚の死命を制しているように見えます。これに対して平塚さんたちは、恋愛の成立を重要条件とするのは既定のことだといわれるかも知れませんが、到底融和しがたい矛盾が其処にあります。もし男女相互の間に恋愛が
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