斉平等に外米を混じた米を食べるだけの忍耐を自覚せしめ、社会に外米を混じない米の存在を許さないことにし、それに由って国家が米穀の標準価格を一定して、特に恩恵的侮辱的の意味を持った「廉米」という名称をも全廃するに至って欲しいと思います。
米価が右のような英断に由って安定を得るならば、その他の物価も同様の方針から出た施設に由って必ず或程度まで緩和することが出来るでしょう。食糧品の公設市場を急速にいくつとなく設けるという事も永久に一つの必要な物価調節策だと思います。これらの施設のためには、従来の投機的資本家や、問屋や、小売商人からの反対運動と戦わねばなりません。私は東京の田尻《たじり》市長が、市営の廉米を、纔《わず》かに一週間にして、市内の白米小売商に依托したような妥協姑息の精神を排斥したいと思います。
私は社会に常在する不幸無力な人たちのため、また今日のような不自然な物価騰貴に由って生活難のどん底にある人たちのために、公私の慈善救済の機関が設けられることを必要とする者ですが、これまでから、慈善行為が婦人の適任であるように決定的にいわれていた世論に対して、私は窃《ひそ》かにそれを軽視し、現在の社会組織において、経済的生産の実力を全く欠き、父兄や、良人に寄生して、それらの男子の財力に縋《すが》って養われている婦人が、その保護者から恵まれた(むしろ偸《ぬす》み取った)金銭の大部分を衣服や装飾品の物質的欲望の満足に消費し、纔《わず》かにその一部の小額を割《さ》いて虚栄心の満足のために慈善家ぶって寄附することは、決して称揚すべき行為でなく、またその少額の喜捨が――たとい貧者の一灯という、美くしい讃辞があるにせよ――現代においては、最早何ほどの社会的効果をも挙げ得ないものであると考えているのでした。
しかるに計らずも、このたびの食糧騒動の促した各都市の救済行為が、私の持説に裏書をしているように思われます。
皆さんのお見受けの通り、このたびの救済行為は在来のに比べるとやや大仕掛であって、各都市はそれに補給されて内外米の廉売を盛《さかん》に実行しております。そうして、それらの寄附者の主なる人たちには、一つの婦人慈善団体も加わっていないのです。百万、五十万、二十万というような大きな額のは勿論、一万、二万という額のものは悉《ことごと》く富豪階級における男子たちの名に由って提供されております。
こういう巨額な寄附をしてこそ慈善行為も現に見る所のように、その効果を最も顕著に挙げることが出来ます。現代の慈善はかつて私が救世軍の慈善|鍋《なべ》を評した時にも述べたことですが――多くの労力を掛けて零細な金銭を集めるような迂闊《うかつ》な手段に由って為《な》されるのでなく、不当利得を常態として、民衆の労働価値の大部分を自家の私有財産に組み入れている大資本家階級から、今度のように必要に応じて、一挙して数百万|乃至《ないし》数千万円を醵出《きょしゅつ》する事でなければなりません。これに由って思うと、最も有効な慈善については婦人の無力であることが解り、併せて慈善行為がその無力な婦人に決して適当した任務でないことが解ります。しかし私はこれがために婦人の持っている優しい慈善心を抑制し、かつその慈善行為を廃棄せよというのではありません。(一九一八年八月)
[#地より1字上げ](『太陽』一九一八年九月)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「心頭雑草」天佑社
1919(大正8)年1月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
青空文庫ファイル:
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