日よ、曙《あけぼの》の女王《ぢよわう》よ。

日よ、君にも夜《よる》と冬の悩みあり、
千万年の昔より幾億たび、
死の苦に堪《た》へて若返る
天《あま》つ焔の力の雄雄《をを》しきかな。
われは猶《なほ》君に従はん、
わが生きて返れるは纔《わずか》に八《や》たびのみ
纔《わづか》に八《や》たび絶叫と、血と、
死の闇《やみ》とを超えしのみ。


    颱風

ああ颱風、
初秋《はつあき》の野を越えて
都を襲ふ颱風、
汝《なんぢ》こそ逞《たくま》しき大馬《おほうま》の群《むれ》なれ。

黄銅《くわうどう》の背《せな》、
鉄の脚《あし》、黄金《きん》の蹄《ひづめ》、
眼に遠き太陽を掛け、
鬣《たてがみ》に銀を散らしぬ。

火の鼻息《はないき》に
水晶の雨を吹き、
暴《あら》く斜めに、
駆歩《くほ》す、駆歩《くほ》す。

ああ抑《おさ》へがたき
天《てん》の大馬《おほうま》の群《むれ》よ、
怒《いか》れるや、
戯れて遊ぶや。

大樹《だいじゆ》は逃《のが》れんとして、
地中の足を挙げ、
骨を挫《くじ》き、手を折る。
空には飛ぶ鳥も無し。

人は怖《おそ》れて戸を鎖《さ》せど、
世を裂く蹄《ひづめ》の音に
屋根は崩れ、
家《いへ》は船よりも揺れぬ。

ああ颱風、
人は汝《なんぢ》によりて、
今こそ覚《さ》むれ、
気不精《きぶしやう》と沮喪《そさう》とより。

こころよきかな、全身は
巨大なる象牙《ざうげ》の
喇叭《らつぱ》のここちして、
颱風と共に嘶《いなゝ》く。


    冬が始まる

おお十一月、
冬が始まる。
冬よ、冬よ、
わたしはそなたを讃《たゝ》へる。
弱い者と
怠《なま》け者とには
もとより辛《つら》い季節。
しかし、四季の中に、
どうしてそなたを欠くことが出来よう。
健《すこや》かな者と
勇敢な者とが
試《た》めされる季節、
否《いな》、みづから試《た》めす季節。
おお冬よ、
そなたの灰色の空は
人を圧《あつ》しる。
けれども、常に心の曇らぬ人は
その空の陰鬱《いんうつ》に克《か》つて、
そなたの贈る
沍寒《ごかん》[#ルビの「ごかん」は底本では「ごうかん」]と、霜と、
雪と、北風とのなかに、
常に晴やかな太陽を望み、
春の香《か》を嗅《か》ぎ、
夏の光を感じることが出来る。
青春を引立てる季節、
ほんたうに血を流す
活動の季節、
意力を鞭《むち》打つ季節、
幻想を醗酵する季節、
冬よ、そなたの前に、
一人《ひとり》の厭人主義者《ミザントロオプ》も無ければ、
一人《ひとり》の卑怯《ひけふ》者も無い、
人は皆、十二の偉勲を建てた
ヘルクレスの子孫のやうに見える。

わたしは更に冬を讃《たゝ》へる。
まあ何《なん》と云《い》ふ
優しい、なつかしい他《た》の一面を
冬よ、そなたの持つてゐることぞ。
その永い、しめやかな夜《よる》。……
榾《ほだ》を焚《た》く田舎の囲炉裏《いろり》……
都会のサロンの煖炉《ストオブ》……
おお家庭の季節、夜会《やくわい》の季節
会話の、読書の、
音楽の、劇の、踊《をどり》の、
愛の、鑑賞の、哲学の季節、
乳呑児《ちのみご》のために
罎《びん》の牛乳の腐らぬ季節、
小《ち》さいセエヴルの杯《さかづき》で
夜会服《ロオブデコルテ》の
貴女《きぢよ》も飲むリキユルの季節。
とり分《わ》き日本では
寒念仏《かんねんぶつ》の、
臘八《らふはち》坐禅の、
夜業の、寒稽古《かんげいこ》の、
砧《きぬた》の、香《かう》の、
茶の湯の季節、
紫の二枚|襲《がさね》に
唐織《からおり》の帯の落着く季節、
梅もどきの、
寒菊《かんぎく》の、
茶の花の、
寒牡丹《かんぼたん》の季節、
寺寺《てらでら》の鐘の冴《さ》える季節、
おお厳粛な一面の裏面《うら》に、
心憎きまで、
物の哀れさを知りぬいた冬よ、
楽《たのし》んで溺《おぼ》れぬ季節、
感性と理性との調和した季節。
そなたは万物の無尽蔵、
ああ、わたしは冬の不思議を直視した。
嬉《うれ》しや、今、
その冬が始まる、始まる。

収穫《とりいれ》の後《のち》の田に
落穂《おちほ》を拾ふ女、
日の出前に霜を踏んで
工場《こうば》に急ぐ男、
兄弟よ、とにかく私達は働かう、
一層働かう、
冬の日の汗する快さは
わたし達無産者の景福《けいふく》である。
おお十一月、
冬が始まる。


    木下杢太郎さんの顔

友の額《ひたひ》のうへに
刷毛《はけ》の硬さもて逆立《さかだ》つ黒髪、
その先すこしく渦巻き、
中に人差指ほど
過《あやま》ちて絵具の――
ブラン・ダルジヤンの附《つ》きしかと……
また見直せば
遠山《とほやま》の襞《ひだ》に
雪|一筋《ひとすぢ》降れるかと。

然《しか》れども
友は童顔、
いつまでも若き日の如《ごと》く
物言へば頬《ほ》の染《そ》み、
目は微笑《ほゝゑ》みて、
いつまでも童顔、
年《とし》四十《しじふ》となり給《たま》へども。

年《とし》四十《しじふ》となり給《たま》へども、
若き人、
みづみづしき人、
初秋《はつあき》の陽光を全身に受けて、
人生の真紅《しんく》の木《こ》の実
そのものと見ゆる人。

友は何処《いづこ》に行《い》く、
猶《なほ》も猶《なほ》も高きへ、広きへ、
胸張りて、踏みしめて行《い》く。
われはその足音に聞き入《い》り、
その行方《ゆくへ》を見守る。
科学者にして詩人、
他《た》に幾倍する友の欲の
重《おも》りかに華やげるかな。

同じ世に生れて
相知れること二十年、
友の見る世界の片端に
我も曾《かつ》て触れにき。
さは云《い》へど、今はわれ
今はわれ漸《やうや》くに寂《さび》し。
譬《たと》ふれば我心《わがこゝろ》は
薄墨いろの桜、
唯《た》だ時として
雛罌粟《ひなげし》の夢を見るのみ。

羨《うらや》まし、
友は童顔、
いつまでも童顔、
今日《けふ》逢《あ》へば、いみじき
気高《けだか》ささへも添ひ給《たま》へる。


    母ごころ

金糸雀《カナリア》の雛《ひな》を飼ふよりは
我子《わがこ》を飼ふぞおもしろき。
雛《ひな》の初毛《うぶげ》はみすぼらし、
おぼつかなしや、足取《あしどり》も。
盥《たらひ》のなかに湯浴《ゆあ》みする
よき肉づきの生みの児《こ》の
白き裸を見るときは、
母の心を引立たす。
手足も、胴も、面《おも》ざしも
汝《な》を飼ふ親に似たるこそ、
かの異類なる金糸雀《カナリヤ》の
雛《ひな》にまさりて親しけれ。
かくて、いつしか親の如《ごと》、
物を思はれ、物|云《い》はん。
詩人、琴弾《ことひき》、医師、学者、
王、将軍にならずとも、
大船《おほふね》の火夫《くわふ》、いさなとり、
乃至《ないし》活字を拾ふとも、
我は我子《わがこ》をはぐくまん、
金糸雀《カナリヤ》の雛《ひな》を飼ふよりは。
[#地から4字上げ](一九〇一年作)


    我子等よ

いとしき、いとしき我子等《わがこら》よ、
世に生れしは禍《わざはひ》か、
誰《たれ》か之《これ》を「否《いな》」と云《い》はん。

されど、また君達は知れかし、
之《これ》がために、我等――親も、子も――
一切の因襲を超えて、
自由と愛に生き得《う》ることを、
みづからの力に由《よ》りて、
新らしき世界を始め得《う》ることを。

いとしき、いとしき我子等《わがこら》よ、
世に生れしは幸ひか、
誰《たれ》か之《これ》を「否《いな》」と云《い》はん。
いとしき、いとしき我子等《わがこら》よ、
今、君達のために、
この母は告げん。

君達は知れかし、
我等《わがら》の家《いへ》に誇るべき祖先なきを、
私有する一尺の土地も無きを、
遊惰《いうだ》の日を送る財《さい》も無きを。
君達はまた知れかし、
我等――親も子も――
行手《ゆくて》には悲痛の森、
寂寞《せきばく》の路《みち》、
その避けがたきことを。


    親として

人の身にして己《おの》が児《こ》を
愛することは天地《あめつち》の
成しのままなる心なり。
けものも、鳥も、物|云《い》はぬ
木さへ、草さへ、おのづから
雛《ひな》と種《たね》とをはぐくみぬ。

児等《こら》に食《は》ません欲なくば
人はおほかた怠《おこた》らん。
児等《こら》の栄えを思はずば
人は其《その》身を慎まじ。
児《こ》の美《うつ》くしさ素直さに
すべての親は浄《きよ》まりぬ。

さても悲しや、今の世は
働く能《のう》を持ちながら、
職に離るる親多し。
いとしき心余れども
児《こ》を養はんこと難《がた》し。
如何《いか》にすべきぞ、人に問ふ。


    正月

正月を、わたしは
元日《ぐわんじつ》から月末《つきずゑ》まで
大なまけになまけてゐる。
勿論《もちろん》遊ぶことは骨が折れぬ、
けれど、外《ほか》から思ふほど
決して、決して、おもしろくはない。
わたしはあの鼠色《ねずみいろ》の雲だ、
晴れた空に
重苦しく停《とゞま》つて、
陰鬱《いんうつ》な心を見せて居る雲だ。
わたしは断《た》えず動きたい、
何《なに》かをしたい、
さうでなければ、この家《いへ》の
大勢が皆飢ゑねばならぬ。
わたしはいらいらする。
それでゐて何《なに》も手に附《つ》かない、
人知れず廻る
なまけぐせの毒酒《どくしゆ》に
ああ、わたしは中《あ》てられた。
今日《けふ》こそは何《なに》かしようと思ふばかりで、
わたしは毎日
つくねんと原稿|紙《し》を見詰めてゐる。
もう、わたしの上に
春の日は射《さ》さないのか、
春の鳥は啼《な》かないのか。
わたしの内《うち》の火は消えたか。
あのじつと涙を呑《の》むやうな
鼠色《ねずみいろ》の雲よ、
そなたも泣きたかろ、泣きたかろ。
正月は唯《た》だ徒《いたづ》らに経《た》つて行《ゆ》く。


    大きな黒い手

おお、寒い風が吹く。
皆さん、
もう夜明《よあけ》前ですよ。
お互《たがひ》に大切なことは
「気を附《つ》け」の一語《いちご》。
まだ見えて居ます、
われわれの上に
大きな黒い手。

唯《た》だ片手ながら、
空に聳《そび》えて動かず、
その指は
じつと「死」を[#「「死」を」は底本では「「死」と」]指してゐます。
石で圧《お》されたやうに
我我の呼吸《いき》は苦しい。

けれど、皆さん、
我我は目が覚めてゐます。
今こそはつきりとした心で
見ることが出来ます、
太陽の在所《ありか》を。
また知ることが出来ます、
華やかな朝の近づくことを。

大きな黒い手、
それは弥《いや》が上に黒い。
その指は猶《なほ》
じつと「死」を指して居ます。
われわれの上に。


    絵師よ

わが絵師よ、
わが像を描《か》き給《たま》はんとならば、
願《ねがは》くば、ただ写したまへ、
わが瞳《ひとみ》のみを、ただ一つ。

宇宙の中心が
太陽の火にある如《ごと》く、
われを端的に語る星は、
瞳《ひとみ》にこそあれ。

おお、愛欲の焔《ほのほ》、
陶酔の虹《にじ》、
直観の電光、
芸術本能の噴水。

わが絵師よ、
紺青《こんじやう》をもて塗り潰《つ》ぶしたる布に、
ただ一つ、写したまへ、
わが金色《こんじき》の瞳《ひとみ》を。


    戦争

大錯誤《おほまちがひ》の時が来た、
赤い恐怖《おそれ》の時が来た、
野蛮が濶《ひろ》い羽《はね》を伸し、
文明人が一斉に
食人族《しよくじんぞく》の仮面《めん》を被《き》る。

ひとり世界を敵とする、
日耳曼人《ゲルマンじん》の大胆さ、
健気《けなげ》さ、しかし此様《このやう》な
悪の力の偏重《へんちよう》が
調節されずに已《や》まれよか。

いまは戦ふ時である、
戦嫌《いくさぎら》ひのわたしさへ
今日《けふ》此頃《このごろ》は気が昂《あが》る。
世界の霊と身と骨が
一度に呻《うめ》く時が来た。

大陣痛《だいぢんつう》の時が来た、
生みの悩みの時が来た。
荒い血汐《ちしほ》の洗礼で、
世界は更に新しい
知らぬ命を生むであろ。

其《そ》れがすべての人類に
真の平和を持ち来《きた》す
精神《アアム》でなくて何《な》んであろ。
どんな犠牲を払う[#「払う」
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