き》づくりの腰掛に。

「この酒鋪《キヤバレエ》の名物は、
四百《しひやく》年へた古家《ふるいへ》の
きたないことと、剽軽《へうきん》[#「剽軽」は底本では「飄軽」
また正直なあの老爺《おやぢ》、
それにお客は漫画家と
若い詩人に限ること。」
こんな話を友はする。
    ×
濶《ひろ》い股衣《ヅボン》の大股《おほまた》に
老爺《おやぢ》は寄つて、三人《さんにん》の
日本の客の手を取つた。
伸びるがままに乱れたる
髪も頬髭《ほひげ》も灰白《はひじろ》み、
赤い上被《タブリエ》、青い服、
それも汚《よご》れて裂けたまま。
太い目元に皺《しわ》の寄る
屈托《くつたく》のない笑顔して、
盛高《もりだか》の頬《ほ》と鼻先の
林檎色《りんごいろ》した美《うつ》くしさ。

老爺《おやぢ》の手から、前の卓、
わたしの小《ち》さい杯《さかづき》に
注《つ》がれた酒はムウドンの
丘の上から初秋《はつあき》の
セエヌの水を見るやうな
濃い紫を湛《たた》へてる。
    ×
「聴け、我が子等《こら》」と客達を
叱《しか》るやうなる叫びごゑ。

老爺《おやぢ》はやをら中央《まんなか》の
麦稈《むぎわら》椅子《いす》に掛けながら、
マンドリンをば膝《ひざ》にして、

「皆さん、今夜は珍しい
日本の詩人をもてなして、
※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルレエヌをば歌ひましよ。」

老爺《おやぢ》の声の止《や》まぬ間《ま》に
拍手の音が降りかかる[#「かかる」は底本では「かがる」]。

赤い毛をした、痩形《やせがた》の、
モデル女も泳ぐよに
一人《ひとり》の画家の膝《ひざ》を下《を》り、
口笛を吹く、手を挙げる。


    驟雨

驟雨《オラアジユ》は過ぎ行《ゆ》く、
巴里《パリイ》を越えて、
ブロオニユの森のあたりへ。

今、かなたに、
樺色《かばいろ》と灰色の空の
板硝子《いたがらす》を裂く雷《らい》の音、
青玉《せいぎよく》の電《いなづま》の瀑《たき》。

猶《なほ》見ゆ、遠山《とほやま》の尖《さき》の如《ごと》く聳《そば》だつ
薄墨《うすすみ》のオペラの屋根の上、
霧の奥に、
猩猩緋《しやう/″\ひ》と黄金《きん》の
光の女服《ロオブ》を脱ぎ放ち、
裸となりて雨を浴ぶる
夏の女皇《ぢよくわう》の
仄白《ほのじろ》き八月の太陽。

猶《なほ》、濡《ぬ》れわたる街の並木の
アカシヤとブラタアヌは
汗と塵埃《ほこり》と※[#「執/れっか」、254−下−7]《ねつ》を洗はれて、
その喜びに手を振り、
頭《かしら》を返し踊るもあり。

カツフエのテラスに花咲く
万寿菊《まんじゆぎく》と薔薇《ばら》は
斜《はす》に吹く涼風《すゞかぜ》の拍子に乗りて
そぞろがはしく
ワルツを舞はんとするもあり。

猶《なほ》、そのいみじき
灌奠《ラバシヨン》の余沫《よまつ》は
枝より、屋根より、
はらはらと降らせぬ、
水晶の粒を、
銀の粒を、真珠の粒を。

驟雨《オラアジユ》は過ぎ行《ゆ》く、
爽《さわ》やかに、こころよく。
それを見送るは
祭の列の如《ごと》く楽し。

わがある七《しち》階の家《いへ》も、
わが住む三階の窓より見ゆる
近き四方《しはう》の家家《いへいへ》も、
窓毎《まどごと》に光を受けし人の顔、
顔毎《かほごと》に朱《しゆ》の笑《ゑ》まひ……


    巴里の一夜

テアトル・フランセエズ[#「フランセエズ」は底本では「フランセエエ」]の二階目の、
紅《あか》い天鵞絨《びろうど》を張りつめた
看棚《ロオジユ》の中に唯《た》だ二人《ふたり》
君と並べば、いそいそと
跳《をど》る心のおもしろや。
もう幕開《まくあき》の鈴が鳴る。

第一列のバルコンに、
肌の透《す》き照る薄ごろも、
白い孔雀《くじやく》を見るやうに
銀を散らした裳《も》を曳《ひ》いて、
駝鳥《だてう》の羽《はね》のしろ扇、
胸に一《いち》りん白い薔薇《ばら》、
しろいづくめの三人《さんにん》は
マネが描《か》くよな美人づれ、
望遠鏡《めがね》の銃《つゝ》が四方《しはう》から
みな其処《そこ》へ向くめでたさよ。

また三階の右側に、
うす桃色のコルサアジユ、
金《きん》の繍《ぬひ》ある裳《も》を著《つ》けた
華美《はで》な姿の小女《こをんな》が
ほそい首筋、きやしやな腕、
指環《ゆびわ》の星の光る手で
少し伏目に物を読み、
折折《をりをり》あとを振返る
人待顔《ひとまちがほ》の美《うつ》くしさ。

あら厭《いや》、前のバルコンへ、
厚いくちびる、白い目の
アラビヤらしい黒奴《くろんぼ》が
襟も腕《かひな》も指さきも
きらきら光る、おなじよな
黒い女を伴《つ》れて来た。

どしん、どしんと三度程
舞台を叩《たゝ》く音がして、
しづかに揚《あが》る黄金《きん》の幕。
よごれた上衣《うはぎ》、古づぼん、
血に染《そ》むやうな赤ちよつき、
コツペが書いた詩の中の
人を殺した老鍛冶《らうかぢ》が
法官達の居ならんだ
前に引かれる痛ましさ、
足の運びもよろよろと……

おお、ムネ・シユリイ、見るからに
老優の芸の偉大さよ。


    ミユンヘンの宿

九月の初め、ミユンヘンは
早くも秋の更けゆくか、
モツアルト街《まち》、日は射《さ》せど
ホテルの朝のつめたさよ。

青き出窓の欄干《らんかん》に
匍《は》ひかぶされる蔦《つた》の葉は
朱《しゆ》と紅《くれなゐ》と黄金《きん》を染め
照れども朝のつめたさよ。

鏡の前に立ちながら
諸手《もろで》に締むるコルセツト、
ちひさき銀のボタンにも
しみじみ朝のつめたさよ。


    伯林停車場

ああ重苦しく、赤|黒《ぐろ》く、
高く、濶《ひろ》く、奥深い穹窿《きゆうりゆう》[#ルビの「きゆうりゆう」は底本では「きうりゆう」]の、
神秘な人工の威圧と、
沸沸《ふつふつ》と迸《ほとばし》る銀白《ぎんぱく》の蒸気と、
爆《は》ぜる火と、哮《ほ》える鉄と[#「鉄と」は底本では「鉄ど」]、
人間の動悸《どうき》、汗の香《か》、
および靴音とに、
絶えず窒息《いきづま》り、
絶えず戦慄《せんりつ》する
伯林《ベルリン》の厳《おごそ》かなる大停車|場《ぢやう》。
ああ此処《ここ》なんだ、世界の人類が
静止の代りに活動を、
善の代りに力を、
弛緩《ちくわん》の代りに緊張を、
平和の代りに苦闘を、
涙の代りに生血《いきち》を、
信仰の代りに実行を、
自《みづか》ら探し求めて出入《でい》りする、
現代の偉大な、新しい
生命を主とする本寺《カテドラル》は。
此処《ここ》に大きなプラツトフオオムが
地中海の沿岸のやうに横たはり、
その下に波打つ幾線の鉄の縄が
世界の隅隅《すみずみ》までを繋《つな》ぎ合せ、
それに断《た》えず手繰《たぐ》り寄せられて、
汽車は此処《ここ》へ三分間|毎《ごと》に東西南北より著《ちやく》し、
また三分間|毎《ごと》に東西南北へ此処《ここ》を出て行《ゆ》く。
此処《ここ》に世界のあらゆる目覚《めざ》めた人人《ひとびと》は、
髪の黒いのも、赤いのも、
目の碧《あお》いのも、黄いろいのも。
みんな乗りはづすまい、
降りはぐれまいと気を配り、
固《もと》より発車を報《しら》せる鈴《べる》も無ければ、
みんな自分で検《しら》べて大切な自分の「時《とき》」を知つてゐる。
どんな危険も、どんな冒険も此処《ここ》にある。
どんな鋭音《ソプラノ》も、どんな騒音も此処《ここ》にある、
どんな期待も、どんな昂奮《かうふん》も、どんな痙攣《けいれん》も、
どんな接吻《せつぷん》も、どんな告別《アデイユ》も此処《ここ》にある。
どんな異国の珍しい酒、果物、煙草《たばこ》、香料、
麻、絹布《けんふ》、毛織物、
また書物、新聞、美術品、郵便物も此処《ここ》にある。
此処《ここ》では何《なに》もかも全身の気息《いき》のつまるやうな、
全身の筋《すぢ》のはちきれるやうな、
全身の血の蒸発するやうな、
鋭い、忙《せは》しい、白※[#「執/れっか」、259−下−1]《はくねつ》の肉感の歓びに満ちてゐる。
どうして少しの隙《すき》や猶予があらう、
あつけらかんと眺めてゐる休息があらう、
乗り遅れたからと云《い》つて誰《だれ》が気の毒がらう。
此処《ここ》では皆の人が唯《た》だ自分の行先《ゆくさき》ばかりを考へる。
此処《ここ》へ出入《でい》りする人人《ひとびと》は
男も女も皆選ばれて来た優者《いうしや》の風《ふう》があり、
額《ひたひ》がしつとりと汗ばんで、
光を睨《にら》み返すやうな目附《めつき》をして、
口は歌ふ前のやうにきゆつと緊《しま》り、
肩と胸が張つて、
腰から足の先までは
きやしやな、しかも堅固な植物の幹が歩《あ》るいてゐるやうである。
みんなの神経は苛苛《いらいら》としてゐるけれど、
みんなの意志は悠揚《いうやう》として、
鉄の軸のやうに正しく動いてゐる。
みんながどの刹那《せつな》をも空《むな》しくせずに
ほんとうに生きてる人達だ、ほんとうに動いてゐる人達だ。
あれ、巨象《マンモス》[#ルビの「マンモス」は底本では「モンマス」]のやうな大機関車を先《さ》きにして、
どの汽車よりも大きな地響《ぢひゞき》を立てて、
ウラジホストツクからブリユツセルまでを、
十二日間で突破する、
ノオル・デキスプレスの最大急行列車が入《はひ》つて来た。
怖《おそ》ろしい威厳を持つた機関車は
今、世界の凡《すべ》ての機関車を圧倒するやうにして駐《とま》つた。
ああ、わたしも是《こ》れに乗つて来たんだ、
ああ、またわたしも是《こ》れに乗つて行《ゆ》くんだ。


    和蘭陀の秋

秋の日が――
旅人の身につまされやすい
秋の日が夕《ゆふべ》となり、
薄むらさきに煙《けぶ》つた街の
高い家《いへ》と家《いへ》との間《あひだ》に、
今、太陽が
万年青《おもと》の果《み》のやうに真紅《しんく》に
しつとりと濡《ぬ》れて落ちて行《ゆ》く。

反対な側《がは》の屋根の上には、
港の船の帆ばしらが
どれも色硝子《いろがらす》の棒を立て並べ、
そのなかに港の波が
幻惑の彩色《さいしき》を打混《うちま》ぜて
ぎらぎらとモネの絵のやうに光る。
よく見ると、その波の半《なかば》は
無数の帆ばしらの尖《さき》から翻《ひるが》へる[#「へる」は底本では「へる。」]
細長い藍色《あゐいろ》の旗である。

あなた、窓へ来て御覧なさい、
手紙を書くのは後《あと》にしませう、
まあ、この和蘭陀《おらんだ》の海の
美《うつ》くしい入日《いりび》。
わたし達は、まだ幸ひに若くて、
かうして、アムステルダムのホテルの
五階の窓に顔を並べて、
この佳《よ》い入日《いりび》を眺めてゐるのですね。
と云《い》つて、
明日《あす》わたし達が此処《ここ》を立つてしまつたら、
復《また》と此《こ》の港が見られませうか。

あれ、直《す》ぐ窓の下の通りに、
猩猩緋《しやう/″\ひ》の上衣《うはぎ》を黒の上に著《き》た
一隊の男の児《こ》の行列、
何《なん》と云《い》ふ可愛《かは》いい
小学の制服なんでせう。

ああ、東京の子供達は
どうしてゐるでせう。


    同じ時

黒く大いなる起重機
我が五階の前に立ち塞《ふさ》がり、
その下に数町《すうちやう》離れて
沖に掛かれる汽船の灯《ひ》
黄菊《きぎく》の花を並ぶ。
税関の彼方《かなた》、
桟橋に寄る浪《なみ》のたぶたぶと
折折《をりをり》に鳴りて白し。
いづこの酒場の窓よりぞ、
ギタルに合はする船人《ふなびと》の唄《うた》
秋の夜風《よかぜ》に混《まじ》り、
波止場に沿ふ散歩道は
落葉《おちば》したる木立《こだち》の幹に
海の反射淡く残りぬ。
うら寒し、はるばる来《き》つる
アムステルダムの一夜《いちや》。


    ※[#「襾/(革+奇)、第4水準2−88−38]愁《きしう》

知らざりしかな、昨日《きのふ》まで、
わが悲《かなし》みをわが物と。
あまりに君にかかはりて。

君の笑《ゑ》む日をまのあたり
巴里《パリイ》の街に見る我《わ》れの
あはれ何《なに》とて寂《さび》しき
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