[#改丁]
[#ここから2段組]
別離
退船《たいせん》の銅鑼《どら》いま鳴り渡り、
見送《みおくり》の人人《ひとびと》君を囲めり。
君は忙《せは》しげに人人《ひとびと》と手を握る。
われは泣かんとはづむ心の毬《まり》を辛《から》くも抑《おさ》へ、
人人《ひとびと》の中を脱《ぬ》けて小走《こばし》りに、
うしろの甲板《でつき》に隠《かく》るれば、
波より射返《いかへ》す白きひかり墓の如《ごと》し。
この二三分………四五分の寂《さび》しさ、
われ一人《ひとり》のけ者の如《ごと》し、
君と人人《ひとびと》とのみ笑ひさざめく。
恐らく遠く行《ゆ》く旅の身は君ならで、
この寂《さび》しき、寂《さび》しき我ならん。
退船《たいせん》の銅鑼《どら》又ひびく。
残刻《ざんこく》に、されどまた痛快に、
わが一人《ひとり》とり残されし冷たき心を苛《さいな》むその銅鑼《どら》……
込み合へる人人《ひとびと》に促され、押され、慰められ、
我は力なき毬《まり》の如《ごと》く、ふらふらと船を下《くだ》る。
乗り移りし小蒸汽《こじようき》より見上ぐれば、
今更に※[#「執/れっか」、231−下−7]田丸《あつたまる》の船梯子《ふなばしご》の高さよ。
ああ君と我とは早くも千里|万《ばん》里の差………
わが小蒸汽《こじようき》は堪《た》へかねし如《ごと》く終《つひ》に啜《すゝ》り泣くに………
一声《いつせい》、二声《にせい》………
千百《せんびやく》の悲鳴をほつと吐息に換へ、
「ああなつかしや」と心細きわが魂《たましひ》の、
臨終《いまは》の念の如《ごと》くに打洩《うちもら》す※[#「執/れっか」、232−上−1]《あつ》き涙の白金《はくきん》の幾滴《いくてき》………
君が船は無言のままに港を出《い》づ。
船と船、人人《ひとびと》は叫びかはせど、
かなたに立てる君と此処《ここ》に坐《すわ》れる我とは、
静かに、静かに、二つの石像の如《ごと》く別れゆく……
[#地から4字上げ](一九一一年十一月十一日神戸にて)
別後《べつご》
わが夫《せ》の君海に浮《うか》びて去りしより、
わが見る夜毎《よごと》の夢、また、すべて海に浮《うか》ぶ。
或夜《あるよ》は黒きわたつみの上、
片手に乱るる裾《すそ》をおさへて、素足のまま、
君が大船《おほふね》の舳先《へさき》に立ち、
白き蝋燭《らふそく》の銀の光を高くさしかざせば、
滴《したゝ》る蝋《らふ》のしづく涙と共に散りて、
黄なる睡蓮《すいれん》の花となり、又しろき鱗《うろこ》の魚《うを》となりぬ。
かかる夢見しは覚めたる後《のち》も清清《すがすが》し。
[#1行アキは底本ではなし]されど、又、かなしきは或夜《あるよ》の夢なりき。
君が大船《おほふね》の窓の火ややに消えゆき、
唯《た》だ一つ残れる最後の薄き光に、
われ外《そと》より硝子《がらす》ごしにさし覗《のぞ》けば、
われならぬ面《おも》やつれせしわが影既に内《うち》にありて、
あはれ君が棺《ひつぎ》の前にさめざめと泣き伏すなり。
「われをも内《うち》に入《い》れ給《たま》へ」と叫べど、
外《そと》は波風の音おどろしく、
内《うち》はうらうへに鉛の如《ごと》く静かに重く冷たし。
泣けるわが影は
氷の如《ごと》く、霞《かすみ》の如《ごと》く、透《す》きとほる影の身なれば、
わが声を聴かぬにやあらん。
われは胸も裂くるばかり苛立《いらだ》ち、
扉の方《かた》より馳《は》せ入《い》らんと、
三《み》たび五《いつ》たび甲板《でつき》の上を繞《めぐ》れど、
皆堅く鎖《とざ》して入《い》るべき口も無し。
もとの硝子《がらす》窓に寄りて足ずりする時、
第三のわが影、艫《とも》の方《かた》の渦巻く浪《なみ》にまじり、
青白く長き手に抜手《ぬきで》きつて泳ぎつつ、
「は、は、は、は、そは皆物好きなるわが夫《せ》の君のわれを試《た》めす戯れぞ」と笑ひき。
覚めて後《のち》、我はその第三の我を憎みて、
日《ひ》ひと日《ひ》腹だちぬ。
ひとり寝
良人《をつと》の留守の一人《ひとり》寝に、
わたしは何《なに》を著《き》て寝よう。
日本の女のすべて著《き》る
じみな寝間著《ねまき》はみすぼらし、
非人《ひにん》の姿「死」の下絵、
わが子の前もけすさまじ。
わたしは矢張《やはり》ちりめんの
夜明《よあけ》の色の茜染《あかねぞめ》、
長襦袢《ながじゆばん》をば選びましよ。
重い狭霧《さぎり》がしつとりと
花に降るよな肌ざはり、
女に生れたしあはせも
これを著《き》るたび思はれる。
斜《はす》に裾《すそ》曳《ひ》く長襦袢《ながじゆばん》、
つい解けかかる襟もとを
軽く合せるその時は、
何《なん》のあてなくあこがれて
若さに逸《はや》るたましひを
じつと抑《おさ》へる心もち。
それに、わたしの好きなのは、
白蝋《はくらふ》の灯《ひ》にてらされた
夢見ごころの長襦袢《ながじゆばん》、
この匂《にほ》はしい明りゆゑ、
君なき閨《ねや》もみじろげば
息づむまでに艶《なまめ》かし。
児等《こら》が寝すがた、今一度、
見まはしながら灯《ひ》をば消し、
寒い二月の床《とこ》のうへ、
こぼれる脛《はぎ》を裾《すそ》に巻き、
つつましやかに足曲げて、
夜著《よぎ》を被《かづ》けば、可笑《をか》しくも
君を見初《みそ》めたその頃《ころ》の
娘ごころに帰りゆく。
旅の良人《をつと》も、今ごろは
巴里《パリイ》の宿のまどろみに、
極楽鳥の姿する
わたしを夢に見てゐるか。
東京にて
わたしはあまりに気が滅入《めい》る。
なんの自分を案じましよ、
君を恋しと思ひ過ぎ、
引き立ち過ぎて気が滅入《めい》る。
「初恋の日は帰らず」と、
わたしの恋の琴の緒《を》に
その弾き歌は用が無い。
昔にまさる燃える気息《いき》。
昔にまさるため涙。
人目をつつむ苦しさに、
鳴りを沈めた琴の絃《いと》、
じつと哀《かな》しく張り詰める。
巴里《パリイ》の大路《おほぢ》を行《ゆ》く君は
わたしの外《ほか》に在るとても、
わたしは君の外《ほか》に無い、
君の外《ほか》には世さへ無い。
君よ、わたしの遣瀬《やるせ》なさ、
三月《みつき》待つ間《ま》に身が細り、
四月《よつき》の今日《けふ》は狂ひ死《じ》に
するかとばかり気が滅入《めい》る。
人並ならぬ恋すれば、
人並ならぬ物おもひ。
其《そ》れもわたしの幸福《しあはせ》と
思ひ返せど気が滅入《めい》る。
昨日《きのふ》の恋は朝の恋、
またのどかなる昼の恋。
今日《けふ》する恋は狂ほしい
真赤《まつか》な入日《いりひ》の一《ひと》さかり。
とは思へども気が滅入《めい》る。
若《も》しもそのまま旅に居て
君帰らずばなんとせう。
わたしは矢張《やはり》気が滅入《めい》る。
図案
久しき留守に倚《よ》りかかる
君が手なれの竹の椅子《いす》。
とる針よりも、糸よりも、
女ごころのかぼそさよ。
膝《ひざ》になびいた一《ひと》ひらの
江戸紫に置く繍《ぬひ》は、
ひまなく恋に燃える血の
真赤な胸の罌粟《けし》の花。
花に添ひたる海の色、
ふかみどりなる罌粟《けし》の葉は、
君が越えたる浪形《なみがた》に
流れて落ちるわが涙。
さは云《い》へ、女のたのしみは、
わが繍《ぬ》ふ罌粟《けし》の「夢」にさへ
花をば揺する風に似て、
君が気息《いき》こそ通《かよ》ふなれ。
旅に立つ
いざ、天《てん》の日は我がために
金《きん》の車をきしらせよ。
颶風《あらし》の羽《はね》は東より
いざ、こころよく我を追へ。
黄泉《よみ》の底まで、泣きながら、
頼む男を尋ねたる
その昔にもえや劣る。
女の恋のせつなさよ。
晶子や物に狂ふらん、
燃ゆる我が火を抱きながら、
天《あま》がけりゆく、西へ行《ゆ》く、
巴里《パリイ》の君へ逢《あ》ひに行《ゆ》く。
[#地から4字上げ](一九一二年五月作)
子等に
あはれならずや、その雛《ひな》を
荒巌《あらいは》の上の巣に遺《のこ》し、
恋しき兄鷹《せう》を尋ねんと、
颶風《あらし》の空に下《お》りながら、
雛《ひな》の啼《な》く音《ね》にためらへる
若き女鷹《めだか》の若《も》しあらば。――
それは窶《やつ》れて遠く行《ゆ》く
今日《けふ》の門出の我が心。
いとしき児《こ》らよ、ゆるせかし、
しばし待てかし、若き日を
猶《なほ》夢を見るこの母は
汝《な》が父をこそ頼むなれ。
巴里より葉書の上に
巴里《パリイ》に著《つ》いた三日目に
大きい真赤《まつか》な芍薬《しやくやく》を
帽の飾りに附《つ》けました。
こんな事して身の末《すゑ》が
どうなるやらと言ひながら。
エトワアルの広場
土から俄《には》かに
孵化《ふくわ》して出た蛾《が》のやうに、
わたしは突然、
地下電車《メトロ》から地上へ匐《は》ひ上がる。
大きな凱旋門《がいせんもん》がまんなかに立つてゐる。
それを繞《めぐ》つて
マロニエの並木が明るい緑を盛上げ、
そして人間と、自動車と、乗合馬車と、
乗合自動車との点と塊《マツス》が
命ある物の
整然とした混乱と
自主独立の進行とを、
断間《たえま》無しに
八方《はつぱう》の街から繰出し、
此処《ここ》を縦横《じゆうわう》[#ルビの「じゆうわう」は底本では「じうわう」]に縫つて、
断間《たえま》無しに
八方《はつぱう》の街へ繰込んでゐる。
おお、此処《ここ》は偉大なエトワアルの広場……
わたしは思はずじつと立ち竦《すく》む。
わたしは思つた、――
これで自分は此処《ここ》へ二度来る。
この前来た時は
いろんな車に轢《ひ》き殺され相《さう》で、
怖《こは》くて、
広場を横断する勇気が無かつた。
そして輻《ふく》になつた路《みち》を一つ一つ越えて、
モンソオ公園へ行《ゆ》く路《みち》の
アヴニウ・ウツスの入口《いりくち》を見附《みつ》ける為《た》めに、
広場の円の端を
長い間ぐるぐると歩《あ》るいてゐた。
どうした気持のせいでか、
アヴニウ・ウツスの入口《いりくち》を見附《みつ》け損《そこな》つたので、
凱旋門《がいせんもん》を中心に
二度も三度も広場の円の端を
馬鹿《ばか》らしく歩《あ》るき廻つてゐるのであつた。
けれど今日《けふ》は用意がある。
わたしは地図を研究して来てゐる。
今日《けふ》わたしの行《ゆ》くのは
バルザツク街《まち》の裁縫師《タイユウル》の家《いへ》だ。
バルザツク街《まち》へ出るには、
この広場を前へ
真直《まつすぐ》に横断すればいいのである。
わたしは斯《か》う思つたが、併《しか》し、
真直《まつすぐ》に広場を横断するには
縦横《じゆうわう》に絶間《たえま》無く馳《は》せちがふ
速度の速い、いろんな車が怖《こは》くてならぬ。
広場へ出るが最期
二三歩で
轢《ひ》き倒されて傷をするか、
轢《ひ》き殺されてしまふかするであらう……
この時、わたしに、突然、
何《なん》とも言ひやうのない
叡智と威力とが内《うち》から湧《わ》いて、
わたしの全身を生きた鋼鉄の人にした。
そして日傘《パラソル》と嚢《サツク》とを提《さ》げたわたしは
決然として、馬車、自動車、
乗合馬車、乗合自動車の渦の中を真直《まつすぐ》に横ぎり、
あわてず、走らず、
逡巡《しゆんじゆん》せずに進んだ。
それは仏蘭西《フランス》の男女の歩《あ》るくが如《ごと》くに歩《あ》るいたのであつた。
そして、わたしは、
わたしが斯《か》うして悠悠《いういう》と歩《あ》るけば、
速度の疾《はや》いいろんな怖《おそ》ろしい車が
却《かへ》つて、わたしの左右に
わたしを愛して停《とゞ》まるものであることを知つた。
わたしは新しい喜悦に胸を跳《をど》らせながら、
斜めにバルザツク街《まち》へ入《はひ》つて行つた。
そして裁縫師《タイユウル》の家《いへ》では
午後二時の約束通り、
わたしの繻子《しゆす》のロオヴの仮縫《かりぬひ》を終つて
若い主人
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