右中央から]
月を釣る
(小曲卅五章)
[#改丁]
[#ここから2段組]
釣
人は暑い昼に釣る、
わたしは涼しい夜《よる》に釣る。
流れさうで流れぬ糸が面白い、
水だけが流れる。
わたしの釣鈎《つりばり》に餌《ゑさ》は要《い》らない、
わたしは唯《た》だ月を釣る。
人中
唯《た》だ一人《ひとり》ある日よりも、
大勢とゐる席で、
わが姿、しよんぼりと細《ほそ》りやつるる。
平生《へいぜい》は湯のやうに沸《わ》く涙も
かう云《い》ふ日には凍るやらん。
立枠《たてわく》模様の水浅葱《みづあさぎ》、はでな単衣《ひとへ》を著《き》たれども、
わが姿、人にまじればうら寂《さび》しや。
炎日
わが家《いへ》の八月の日の午後、
庭の盥《たらひ》に子供らの飼ふ緋目高《ひめだか》は
生湯《なまゆ》の水に浮き上がり、
琺瑯色《はふらういろ》の日光に
焼釘《やけくぎ》の頭《あたま》を並べて呼吸《いき》をする。
その上にモザイク形《がた》の影を落《おと》す
静かに大きな金網。
木《こ》の葉は皆あぶら汗に光り、
隣の肥えた白い猫は
木の根に眠つたまま死ぬやらん。
わがする幅広《はゞびろ》の帯こそ大蛇《だいじや》なれ、
じりじりと、じりじりと巻きしむる。
月見草
夜あけ方《がた》に降つた夕立が
庭に流した白い砂、
こなひだ見て来た岩代《いはしろ》の
摺上川《すりがみがは》が想《おも》はれる。
砂に埋《うも》れて顔を出す
濡《ぬ》れた黄いろの月見草《つきみさう》、
あれ、あの花が憎いほど
わたしの心をさし覗《のぞ》き、
思ひなしかは知らねども、
やつれた私を引き立たす。
明日
過ぎこし方《かた》を思へば
空わたる月のごとく、
流るる星のごとくなりき。
行方《ゆくへ》知らぬ身をば歎かじ、
わが道は明日《あす》も弧《こ》を描《ゑが》かん、
踊りつつ往《ゆ》かん、
曳《ひ》くひかり、水色の長き裳《も》の如《ごと》くならん。
芸術
芸術はわれを此処《ここ》にまで導きぬ、
今《こん》[#ルビの「こん」はママ]こそ云《い》はめ、
われ、芸術を彼処《かしこ》に伴ひ行《ゆ》かん、
より真実に、より光ある処《ところ》へと。
力
われは軛《くびき》となりて挽《ひ》かれ、
駿足《しゆんそく》の馬となりて挽《ひ》き、
車となりてわれを運ぶ。
わが名は「真実」なれども
「力」と呼ぶこそすべてなれ。
走馬灯
まはれ、まはれ、走馬灯《そうまとう》。
走馬灯《そうまとう》は幾たびまはればとて、
曲もなき同じふやけし馬の絵なれど、
猶《なほ》まはれ、まはれ、
まはらぬは寂《さび》しきを。
桂氏《かつらし》の馬は西園寺氏《さいをんじし》の馬に
今こそまはりゆくなれ、まはれ、まはれ。
空しき日
女、三越《みつこし》の売出しに行《ゆ》きて、
寄切《よせぎれ》の前にのみ一日《ひとひ》ありき。
帰りきて、かくと云《い》へば、
男は独り棋盤《ごばん》に向ひて
五目並べの稽古《けいこ》してありしと云《い》ふ。
(零《れい》と零《れい》とを重ねたる今日《けふ》の日の空《むな》しさよ。)
さて男は疲れて黙《もだ》し、また語らず、
女も終《つひ》に買物を語らざりき。
その買ひて帰れるは
纔《わづか》に高浪織《たかなみおり》の帯の片側《かたかは》に過ぎざれど。
麦わら
それは細き麦稈《むぎわら》、
しやぼん玉を吹くによけれど、竿《さを》とはしがたし、
まして、まして柱とは。
されど、麦稈《むぎわら》も束として火を附《つ》くれば
ゆゆしくも家《いへ》を焼く。
わがをさな児《ご》は賢し、
束とはせず、しやぼん玉を吹いて行《ゆ》くよ。
恋
一切を要す、
われは憧《あこが》るる霊《たましひ》なり。
物をしみな為《せ》そ、
若《も》し齎《もたら》す物の猶《なほ》ありとならば。――
初めに取れる果実《このみ》は年経《としふ》れど紅《あか》し、
われこそ物を損ぜずして愛《め》づるすべを知るなれ。
対話
「常に杖《つゑ》に倚《よ》りて行《ゆ》く者は
その杖《つゑ》を失ひし時、自《みづか》らをも失はん。
われは我にて行《ゆ》かばや」と、われ語る。
友は笑ひて、さて云《い》ひぬ、
「な偽《いつは》りそ、
つとばかり涙さしぐむ君ならずや、
恋人の名を耳にするにも。」
或女
古き物の猶《なほ》権威ある世なりければ
彼《かれ》は日本の女にて東の隅にありき。
また彼《かれ》は精錬せられざりしかば
猶《なほ》鉱《あらがね》のままなりき。
みづからを白金《プラチナ》の質《しつ》と知りながら……
爪
物を書きさし、思ひさし、
広東
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