では「胥白石」]の肌を汗ばませぬ。

ああ、くわりんの果《み》は
冬と風とにも亡《ほろぼ》されず、
心と、肉と、晶液《しやうえき》と、
内なる尊《たふと》き物皆を香《か》として
永劫《えいごふ》[#ルビの「えいごふ」は底本では「えいがふ」]の間《あひだ》にたなびき行《ゆ》く。


    冬の一日

雪が止《や》んだ、
太陽が笑顔を見せる。
庭に積《つも》つた雪は
硝子《がらす》越しに
ほんのりと薔薇《ばら》色をして、
綿のやうに温かい。

小作《こづく》りな女の、
年よりは若く見える、
髷《まげ》を小さく結《ゆ》つた、
品《ひん》の好《い》い[#「好い」は底本では「如い」]お祖母《ばあ》さんは、
古風な糸車《いとぐるま》の前で
黙つて紡《つむ》いでゐる。

太陽が部屋へ入《はひ》つて、
お祖母《ばあ》さんの左の手に
そつと唇を触れる。
お祖母《ばあ》さんは何時《いつ》の間《ま》にか
美《うつ》くしい薔薇《ばら》色の雪を
黙つて紡《つむ》いでゐる。


    冬を憎む歌

ああ憎き冬よ、
わが家《いへ》のために、冬は
恐怖《おそれ》なり、咀《のろ》ひなり、
闖入者《ちんにふしや》なり、
虐殺なり、喪《も》なり。

街街《まちまち》の柳の葉を揺《ゆ》り落して、
錆《さ》びたる銅線の如《ごと》く枝のみを慄《ふる》はしめ、
園《その》の菊を枝炭《えだずみ》の如《ごと》く灰白《はいじろ》ませ、
家畜の蹄《ひづめ》を霜の上にのめらしめて、
ああ猶《なほ》飽くことを知らざるや、冬よ。

冬は更に人間を襲ひて、
先《ま》づわが家《いへ》に来《きた》りぬ。
冬は風となりて戸を穿《うが》ち、
縁《えん》よりせり出し、
霜となりて畳に潜《ひそ》めり。

冬はインフルエンザとなり、
喘息《ぜんそく》となり、
気管支炎となり、
肺炎となりて、
親と子と八人《はちにん》を責め苛《さいな》む。

わが家《いへ》は飢ゑと死に隣《となり》し、
寒さと、※[#「執/れっか」、225−下−11]《ねつ》と、咳《せき》と、
※[#「執/れっか」、225−下−12]《ねつ》の香《か》と、汗と、吸入《きふにふ》の蒸気と、
呻吟《しんぎん》と、叫びと、悶絶《もんぜつ》と、
啖《たん》と、薬と、涙とに満《み》てり。

かくて十日《とをか》……猶《なほ》癒《い》えず
ああ我心《わがこゝろ》は狂はんとす、
短劔《たんけん》を執《と》りて、
ただ一撃に刺さばや、
憎き、憎き冬よ、その背を。


    白樺

冬枯《ふゆがれ》の裾野《すその》に
ひともと
しら樺《かば》の木は光る。
その葉は落ち尽《つく》して、
白き生身《いきみ》を
女性《によしやう》の如《ごと》く
師走《しはす》の風に曝《さら》し、
何《なに》を祈るや、独り
双手《もろで》を空に張る。

日は今、遥《はる》かに低き
うす紫の
遠山《とほやま》に沈み去り、
その余光《よくわう》の中に、
しら樺《かば》の木は
悲しき殉教者の血を、
その胸より、
たらたらと
落葉《おちば》の上に流す。


    雪の朝

夜《よ》が明けた。
風も、大気も、
鉛色《なまりいろ》の空も、
野も、水も
みな気息《いき》を殺してゐる。

唯《た》だ見るのは
地上一尺の大雪……
それが畝畝《うね/\》の直線を
すつかり隠して、
いろんな三角の形《かたち》を
大川《おほかは》に沿うた
歪形《いびつ》な畑《はたけ》に盛り上げ、
光を受けた部分は
板硝子《いたがらす》のやうに反射し、
蔭《かげ》になつた所は
粗悪な洋紙《やうし》を撒《ま》きちらしたやうに
鈍《にぶ》く艶《つや》を消してゐる。

そして所所《ところどころ》に
幾つかの
不格好《ぶかくかう》な胴像《トルソ》が
どれも痛痛《いたいた》しく
手を失ひ、
脚《あし》を断たれて、
真白《まつしろ》な胸に
黒い血をにじませながら立つてゐる。

それは枝を払はれたまま、
じつと、いきんで、
死なずに春を待つてゐる
太い櫟《くぬぎ》の幹である。
たとへば私達のやうな者である。


    雪の上の鴉

鴉《からす》、鴉《からす》、
雪の上の鴉《からす》、
近い処に一羽《いちは》、
少し離れて十四五|羽《は》。

鴉《からす》、鴉《からす》、
雪の上の鴉《からす》、
半紙の上に黒く
大人《おとな》が書いた字のやうだ。

鴉《からす》、鴉《からす》、
雪の上の鴉《からす》、
「かあ」と一羽《いちは》が啼《な》けば
寂《さび》しく「かあ」と皆が啼《な》く。

鴉《からす》、鴉《からす》、
雪の上の鴉《からす》、
餌《ゑさ》が無いのでじいつと
動きもせねば飛びもせぬ。

[#ここで段組終わり]
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   西土往来
       (欧洲旅行前及び旅中の詩廿九章)


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