水晶質となるやうに、
しみじみ清く濡《ぬ》れとほる。

[#1行アキは底本ではなし]厨《くりや》へ行つて水道の
栓をねぢれば、たた、たたと
思ひ余つた胸のよに、
バケツへ落ちて盛り上がる
心《こゝろ》丈夫な水音も、

わたしの立つた板敷へ
裏口の戸の間《あひだ》から
新聞くばりがばつさりと
投げこんで行《ゆ》く物音も、
薄暗がりにここちよや。


    蝉

蝉《せみ》が啼《な》く。
燻《いぶ》るよに、じじと一つ、
わたしの家《いへ》の桐《きり》の木に。

その音《ね》につれて、そこ、かしこ、
蝉《せみ》、蝉《せみ》、蝉《せみ》、蝉《せみ》、
いろんな蝉《せみ》が啼《な》き出した。

わたしの家《いへ》の蝉《せみ》の音《ね》が
最初の口火、
いま山の手の番町《ばんちやう》の
どの庭、どの木、どの屋根も
七月の真赤《まつか》な吐息の火に焦《こ》げる。

枝にも、葉にも、瓦《かはら》にも、
軒《のき》にも、戸にも、簾《すだれ》にも、
流れるやうな朱《しゆ》を注《さ》した
光のなかで蝉《せみ》が啼《な》く。

無駄と知らずに、根気よく、
砂を握《つか》んでずらす蝉《せみ》。

鍋《なべ》の油を煮たぎらし、
呪《のろ》ひごとする悪の蝉《せみ》。

重い苦患《くげん》に身悶《みもだ》えて、
鉄の鎖をゆする蝉《せみ》。

悟りめかして、しゆ、しゆ、しゆ、しゆと
水晶の珠数《じゆず》を鳴らす蝉《せみ》。

思ひ出しては一《ひと》しきり
泣きじやくりする恋の蝉《せみ》。

蝉《せみ》、蝉《せみ》、蝉《せみ》、蝉《せみ》、
※[#「執/れっか」、207−下−1]《あつ》い真夏の日もすがら、
蝉《せみ》の音《ね》は
啼《な》き止《や》んで、また啼《な》き次ぐ。

さて誰《だれ》が知ろ、
啼《な》かず、叫ばず、ただひとり
蔭《かげ》にかくれて、微《かす》かにも
羽ばたきをする雌《めす》の蝉《せみ》。


    新秋

朝露《あさつゆ》のおくままに、天地《あめつち》は
サフイイルと、青玉《せいぎよく》と
真珠を盛つたギヤマンの室《しつ》。
朝の日の昇るまま、天地《あめつち》は
黄金《わうごん》と、しろがねと
珊瑚《さんご》をまぜたモザイクの壁。
その中に歌ふトレモロ――秋の初風《はつかぜ》。


    初秋《はつあき》の歌

初秋《はつあき》は来《き》ぬ、白麻《しらあさ》の
明るき蚊帳《かや》に臥《ふ》しながら、
夜《よ》の更けゆけば水色の
麻の軽《かろ》きを襟近く
打被《うちかづ》くまで涼しかり。

上の我子《わがこ》は二人《ふたり》づれ
大人《おとな》の如《ごと》く遠く行《ゆ》き、
夏の休みを陸奥《みちのく》の
山辺《やまべ》の友の家《いへ》に居て
今朝《けさ》うれしくも帰りきぬ。

休みのはてに己《おの》が子と
別るる鄙《ひな》の親達は
夏の尽くるや惜しからん、
都に住めるしあはせは
秋の立つにも身に知らる。

貧しけれども、わが家《いへ》の
今日《けふ》の夕食《ゆふげ》の楽しさよ、
黒川郡《くろがはぐん》の山辺《やまべ》にて
我子《わがこ》の採《と》れる百合《ゆり》の根を
我子《わがこ》と共にあぢはへば。


    初秋の月

世界はいと静かに
涼しき夜《よる》の帳《とばり》に睡《ねむ》り、
黄金《こがね》の魚《うを》一つ
その差延べし手に光りぬ、
初秋《はつあき》の月。

紫水晶《むらさきずゐしやう》の海は
黒き大地《だいぢ》に並び夢みて、
一つの波は彼方《かなた》より
柔かき節奏《ふしどり》に
その上を馳《は》せ来《きた》る。

波は次第に高まる、
麦の畝《うね》の風に逆《さか》ふ如《ごと》く。
さて長き磯《いそ》の上に
拡がり、拡がる、
しろがねの網《あみ》として。

波は幾度《いくたび》もくり返し
奇《く》しき光の魚《うを》を抱かんとす。
されど網《あみ》を知らで、
常に高く彼処《かしこ》に光りぬ、
初秋《はつあき》の月。


    優しい秋

誇りかな春に比べて、
優しい、優しい秋。
目に見えない刷毛《はけ》を
秋は手にして、
日蔭《ひかげ》の土、
風に吹かれる雲、
街の並木、
茅《かや》の葉、
葛《かづら》の蔓《つる》、
雑草の花にも、
一つ一つ似合はしい
好《よ》い色を択《えら》んで、
まんべんなく、細細《こまごま》と、
みんなを彩《ゑど》つて行《ゆ》く。
御覧《ごらん》よ、
その畑《はたけ》に並んだ、
小鳥の脚《あし》よりも繊弱《きやしや》な
蕎麦《そば》の茎にも、
夕焼の空のやうな
美《うつ》くしい臙脂紫《ゑんじむらさき》……
これが秋です。
優しい、優しい秋。


    コスモスの花

少し冷たく、匂《にほ》はしく、
清く、はかなく、たよたよと、
コスモスの花、高く咲く。
秋の心を知る花か、
うすももいろに高く
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