た》だ一つの真実創造、
もう是非の隙《すき》も無い。

今、第一の陣痛……
太陽は俄《には》かに青白くなり、
世界は冷《ひや》やかに鎮《しづ》まる。
さうして、わたしは唯《た》だ一人《ひとり》………


    アウギユストの一撃

二歳《ふたつ》になる可愛《かは》いいアウギユストよ、
おまへのために書いて置く、
おまへが今日《けふ》はじめて
おまへの母の頬《ほ》を打つたことを。
それはおまへの命の
自《みづか》ら勝たうとする力が――
純粋な征服の力が
怒りの形《かたち》と
痙攣《けいれん》の発作《ほつさ》とになつて
電火《でんくわ》のやうに閃《ひらめ》いたのだよ。
おまへは何《なに》も意識して居なかつたであらう、
そして直《す》ぐに忘れてしまつたであらう、
けれど母は驚いた、
またしみじみと嬉《うれ》しかつた。
おまへは、他日《たじつ》、一人《ひとり》の男として、
昂然《かうぜん》とみづから立つことが出来る、
清く雄雄《をを》しく立つことが出来る、
また思ひ切り人と自然を愛することが出来る、
(征服の中枢は愛である、)
また疑惑と、苦痛と、死と、
嫉妬《しつと》と、卑劣と、嘲罵《てうば》と、
圧制と、曲学《きよくがく》と、因襲と、
暴富《ぼうふ》と、人爵《じんしやく》とに打克《うちが》つことが出来る。
それだ、その純粋な一撃だ、
それがおまへの生涯の全部だ。
わたしはおまへの掌《てのひら》が
獅子《しし》の児《こ》のやうに打つた
鋭い一撃の痛さの下《もと》で
かう云《い》ふ白金《はくきん》の予感を覚えて嬉《うれ》しかつた。
そして同時に、おまへと共通の力が
母自身にも潜《ひそ》んでゐるのを感じて、
わたしはおまへの打つた頬《ほ》も
打たない頬《ほ》までも※[#「執/れっか」、127−上−12]《あつ》くなつた。
おまへは何《なに》も意識して居なかつたであらう、
そして直《す》ぐに忘れてしまつたであらう。
けれど、おまへが大人になつて、
思想する時にも、働く時にも、
恋する時にも、戦ふ時にも、
これを取り出してお読み。
二歳《ふたつ》になる可愛《かは》いいアウギユストよ、
おまへのために書いて置く、
おまへが今日《けふ》はじめて
おまへの母の頬《ほ》を打つたことを。

猶《なほ》かはいいアウギユストよ、
おまへは母の胎《たい》に居て
欧羅巴《ヨオロツパ》を観《み》て
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