て挽《ひ》き、
車となりてわれを運ぶ。
わが名は「真実」なれども
「力」と呼ぶこそすべてなれ。


    走馬灯

まはれ、まはれ、走馬灯《そうまとう》。
走馬灯《そうまとう》は幾たびまはればとて、
曲もなき同じふやけし馬の絵なれど、
猶《なほ》まはれ、まはれ、
まはらぬは寂《さび》しきを。

桂氏《かつらし》の馬は西園寺氏《さいをんじし》の馬に
今こそまはりゆくなれ、まはれ、まはれ。


    空しき日

女、三越《みつこし》の売出しに行《ゆ》きて、
寄切《よせぎれ》の前にのみ一日《ひとひ》ありき。
帰りきて、かくと云《い》へば、
男は独り棋盤《ごばん》に向ひて
五目並べの稽古《けいこ》してありしと云《い》ふ。
(零《れい》と零《れい》とを重ねたる今日《けふ》の日の空《むな》しさよ。)
さて男は疲れて黙《もだ》し、また語らず、
女も終《つひ》に買物を語らざりき。
その買ひて帰れるは
纔《わづか》に高浪織《たかなみおり》の帯の片側《かたかは》に過ぎざれど。


    麦わら

それは細き麦稈《むぎわら》、
しやぼん玉を吹くによけれど、竿《さを》とはしがたし、
まして、まして柱とは。
されど、麦稈《むぎわら》も束として火を附《つ》くれば
ゆゆしくも家《いへ》を焼く。
わがをさな児《ご》は賢し、
束とはせず、しやぼん玉を吹いて行《ゆ》くよ。


    恋

一切を要す、
われは憧《あこが》るる霊《たましひ》なり。
物をしみな為《せ》そ、
若《も》し齎《もたら》す物の猶《なほ》ありとならば。――
初めに取れる果実《このみ》は年経《としふ》れど紅《あか》し、
われこそ物を損ぜずして愛《め》づるすべを知るなれ。


    対話

「常に杖《つゑ》に倚《よ》りて行《ゆ》く者は
その杖《つゑ》を失ひし時、自《みづか》らをも失はん。
われは我にて行《ゆ》かばや」と、われ語る。
友は笑ひて、さて云《い》ひぬ、
「な偽《いつは》りそ、
つとばかり涙さしぐむ君ならずや、
恋人の名を耳にするにも。」


    或女

古き物の猶《なほ》権威ある世なりければ
彼《かれ》は日本の女にて東の隅にありき。
また彼《かれ》は精錬せられざりしかば
猶《なほ》鉱《あらがね》のままなりき。
みづからを白金《プラチナ》の質《しつ》と知りながら……


    爪

物を書きさし、思ひさし、
広東
前へ 次へ
全125ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング