川、
隅田川。


    朝日の前

あはれ、日の出、
山山《やまやま》は酔《ゑ》へる如《ごと》く、
みな喜びに身を揺《ゆす》りて、
黄金《きん》と朱《しゆ》の笑《ゑ》まひを交《かは》し、
海と云《い》ふ海は皆、
虹《にじ》よりも眩《まば》ゆき
黄金《きん》と五彩の橋を浮《うか》べて、
「日よ、先《ま》づ
此処《ここ》より過ぎたまへ」とさし招き、
さて、日の脚《あし》に口づけんとす。

あはれ、日の出、
万象《ばんしやう》は
一瞬にして、奇蹟の如《ごと》く
すべて変れり。
大寺《おほてら》の屋根に
鳩《はと》のむれは羽羽《はば》たき、
裏街に眠りし
運河のどす黒《ぐろ》き水にも
銀と珊瑚《さんご》のゆるき波を揚げて、
早くも動く船あり。
人、いづこにか
静かに怠りて在り得《う》べき。
あはれ、日の出、
神神《かうがう》しき日の出、
われもまた
かの喬木《けうぼく》の如《ごと》く、
光明《くわうみやう》赫灼《かくしやく》のなかに、
高く二つの手を開《ひら》きて、
新しき日を抱《いだ》かまし。


    虞美人草

虞美人草《ぐびじんさう》の散るままに、
淫《たは》れた風も肩先を
深く斬《き》られて血を浴びる。

虞美人草《ぐびじんさう》の散るままに、
畑《はた》は火焔の渠《ほり》となり、
入日《いりひ》の海へ流れゆく。

虞美人草《ぐびじんさう》も、わが恋も、
ああ、散るままに散るままに、
散るままにこそまばゆけれ。


    罌粟の花

この草原《くさはら》に、誰《だれ》であろ、
波斯《ペルシヤ》の布の花模様、
真赤《まつか》な刺繍《ぬひ》を置いたのは。

いえ、いえ、これは太陽が
土を浄《きよ》めて世に降らす
点、点、点、点、不思議の火。

いえ、いえ、これは「水無月《みなづき》」が
真夏の愛を地に送る
※[#「執/れっか」、188−下−11]《あつ》いくちづけ、燃ゆる星眸《まみ》。

いえ、いえ、これは人同志
恋に焦《こが》れた心臓の
象形《うらかた》に咲く罌粟《けし》の花。

おお、罌粟《けし》の花、罌粟《けし》の花、
わたしのやうに一心《いつしん》に
思ひつめたる罌粟《けし》の花。


    散歩

河からさつと風が吹く。
風に吹かれて、さわさわと
大きく靡《なび》く原の蘆《あし》。

蘆《あし》の間《あひだ》を縫ふ路《みち》の
何処《どこ》かで人の
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