わさう》の書斎に入る。
手探りに電灯をひねれば、
被《おほ》ひたる黒き布長く垂れて、
下二尺
わづかにも円《まろ》く光りぬ。
雨、雨、俄かなる雨、
風さへも荒く添へり。
サイレンに交りて
砲声遠く起る。
防護団の若き人人、
今、敏活の動作いかなるべき。
いざ、斯かる夜に歌詠まん、
屋外の任務に就かぬ我等は。
この即興の言葉に、
是山ぬし先づ微笑み、
良人はうなづきて
煙草《たばこ》に火を附けぬ。
黙して紙に向へば、
サイレンと、暴雨と、砲声と、
是れ、我等を励ますなり、
我等の気は揚がる。
但だ、筆を執る姿は
軒昂たること難し、
俯向ける三人の背に
全市の闇を負へり。
少時《しばし》して、突然、
地震なり、
板戸、硝子戸、鳴りとどろき、
家三たび荒く揺れぬ。
子の一人馳せ来て告ぐ、
横浜なる防空本部のラヂオ
今云ひぬ、
「この松屋の屋上も揺れつつあり」と。
人は敵機の空襲に備へて、
震災記念日を忘れたれど、
大地は忘れずして
我等を驚かしつるならん。
砲声は更に加はる、
敵機、市の空に入れるか。
驚異と惶惑の夜、
我等は猶筆を執る。
九段坂の涼夜
九段の
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