い淵、死の淵。
所へ、「みづすまし」が
一匹ふいと現れて、
細長い
四本の脚で身を支へ、
円く、円く、軽軽と、
踊つたり、舞つたり。

淵は今「みづすまし」の
美くしい命の
「渦巻つなぎ」に満ち、
この芸術家的な虫の
支配のもとに、
見るは唯だメロデイの淵、
恍惚の淵、青い淵。
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 大正十年


  紙で切つた象

母さん、母さん、
端書《はがき》を下さい、
鋏刀《はさみ》を下さい、
お糊を下さい。

アウギユストは今日、
古い端書で
象を切ります。
きり、きり、きり、きり。

そおれ、長い長いお鼻、
そおれ、脊中、
まんまるい脊中。
きり、きり、きり、きり。

それから、小さな尻尾《しつぽ》、
後脚とお腹、
さうして前脚。
きり、きり、きり、きり。

少し後脚が短い、
印度《インド》から歩いて来たので、
くたびれて、
跛足《びつこ》を引いて居るのでせう。

象よ、板の上に、
足の裏を曲げて、
糊をば附けて、
さあ、かうしてお立ち。

可愛い象よ、
お腹が空いたら、
藁を遣ろ、
パンを遣ろ。

母さん、母さん、
象の脊中には何を載せるの。
人間ですか、
荷物ですか。


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