砂丘《しやきう》との間を漕ぐ
一人の青年の渡守、
その名は田中文治さん。

文治さん、
あなたは寡言《むくち》です、
あなたは人の十言《とこと》に対して
やつと[#「やつと」に傍点]一言を答へます、
重い、重い、鉄のやうな一言を。

文治さん、
あなたは人が礼を述べても
大して嬉し相な表情を見せません、
勿論、世辞や愛想《あいそ》は。

文治さん、
あなたは兵役から帰つて来た人です
それで居て、少しも都会じみず、
日焼の黒い顔と、
百姓の子の生地とを保つて居る。

文治さん、
あなたは避暑客のために、
この夏中、此町の青年と一緒に、
渡守の役目を引受けて居る。

文治さん、
あなたは三日置の自分の番の外に、
仲間の者の課役をも助けて、
殆ど毎日、逞ましい裸体《はだか》で、
炎天の下《もと》に櫓を採つて居る。

文治さん、
あなたは寡言《むくち》です。
けれど、その銅像のやうな全身は
未来の偉大な人道を語ります。


  朝露

今朝田舎には、
しつとりと
白い大粒の露が置いて居る。

私達が素足に
竹の皮の草履を穿いて、
小走りに海の方へ下りて行くのは、
両側に藤豆と玉蜀黍《たうも
前へ 次へ
全116ページ中55ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング