のみかは、
うるはしく匂へる色は
やがて其の豊かに開く
新しきみこころの花。

教へ子のわが少女たち、
この花をいざ受けたまへ。
この花にその自《みづか》らの
幸ひを眺めたまへよ。

いとよくも修めたまひき。
つつましく優しきなさけ。
明るくも敏きその智慧
創造の妙《たへ》なる力。

君たちの行手の道は
ほがらかに春の日照らん。
荒き風よしや吹くとも、
少女子の花はとこしへ。

かく云へど、永き年月《としつき》
相馴れし親のこころに、
別れをば惜む涙の
つと流る、如何にとどめん。

いざさらば我が少女たち、
この花のごとくにいませ
若やかに光りていませ
この花をいざ受けたまへ。


  鵞鳥の坊や

ねんねんよ、ねんねんよ、
雨が降るからねんねんよ、
鳥舎《とりや》の鵞鳥もねんねした。

ねんねんよ、ねんねんよ、
鵞鳥の坊やのおめざには、
ちいしやの葉《は》つ葉《ぱ》を摘んでやろ。

ねんねんよ、ねんねんよ、
内《ううち》の坊やのおめざには、
ああかいお日様上げませう。

ねんねんよ、ねんねんよ、
梅雨《つうゆ》のおあめも寝ておくれ、
いゝ子の坊やはねんねした。
[#改ページ]

 昭和六年


  〔無題〕

思ひあまれど猶しばし
云はで堪《こら》へるたのしさよ、
如何にすぐれた歌とても
書いてしまへば旧くなる。
すべて当世《たうせ》のあやまちは
要らぬ言葉の多きなり。


  〔無題〕

寒山は詩を作り、
拾得は釜を焚く。
それで昔は暮された。
ああ一千九百三十年、
わたくしはまた随筆を売る。


  秋の夜の歌

時計を見れば十一時、
秋の夜長の嬉しさよ、
筆さしおきて、また更に
己《おの》が時ぞと胸をどる。

立ちつつ棚の本を抽《ぬ》く。

夜更けて物を読むことは、
田を刈る人が手を止《や》めて
しばらく空を見るよりも
更に澄み入る心なれ。

一のペイヂをそつと切る。

今夜新たに読む本は
未知の世界の旅ぞかし。
初めの程は著者とわれ
少し離れて行くも好《よ》し。

敬ふごとく次を切る。

唯だ打黙《うちもだ》し読むことを
もどかしとする虫ならん、
我れに代りて爽かに
前の廊より声立てぬ。

電灯のいろ水に似る。


  鈴虫

りん、りん、りんと鈴虫の声、
わが背《せな》の方《かた》に起る。
思ひがけぬ虫の声よ、
小暗き廊をつたひて
わが筆執る書斎に入るなり。

りん、りん、りんと鈴虫の声、
げに其声は鈴を振る。
駄馬の鈴ならず、
橇の鈴ならず、
法師の祈る鈴ならず。

りん、りん、りんと鈴虫の声、
朗朗として澄み昇る。
聴けば唯だ三節《みふし》なれど、
すべてみな金《きん》の韻なり、
盛唐の詩の韻なり。

りん、りん、りんと鈴虫の声、
その声は喜びに溢る。
促されずして歌ひ、
堪へきれずして歌ひ、
恍惚の絶巓《ぜつてん》に歌ふ。

りん、りん、りんと鈴虫の声、
なんぞ傍若無人なる。
寸にも足らぬ虫なれど、
今彼れの心に
唯だ歌ありて一切を忘る。

りん、りん、りんと鈴虫の声、
彼の虫ぞ自らを恃める。
人間の心には気兼あり、
疚《やま》しき所あり、
諂《へつら》ふことさへもあり。

りん、りん、りんと鈴虫の声、
誰れか今宵その籠を掛けたる。
わが子らの中の
いづれの子のわざならん、
かの※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ランダに掛けたるは。

りん、りん、りんと鈴虫の声、
猶かの※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ランダより起る。
すでに午前一時、
その硝子には白からん、
栴檀の葉を通す十五夜の月。

りん、りん、りんと鈴虫の声、
月の光の如く流る。
虫よ知るや、其処の椅子に、
詩人木下杢太郎博士
十日前に来て掛け給ひしを。

りん、りん、りんと鈴虫の声、
更けていよいよ冴え渡る。
また知るや虫よ、其の※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ランダは
火曜日ごとに若き女達きて
我れと共に歌ふ所なるを。

りん、りん、りんと鈴虫の声、
書斎に入りて我れを繞る。
我れは猶筆を捨てず、
よきかな、我が思ひと我が言葉
今は鈴虫の韻に乗る。


  庭の一隅

同じ囲ひのうちに
鶏のむれ、鵞鳥のむれ、
すでに食み終りて
猶も餌を待てり。
餌の無きにあらず、
彼等の目の見難きなり。
見よ、同じ囲ひのうちに
雀の下《お》りて食めるを。
猶よく見よ、餌を運ぶ蟻は
今正に収穫の農繁期なり。
[#改ページ]

 昭和七年


  〔無題〕

飢ゑたひよ鳥も食べぬ
にがい、にがい枳殻《からたち》の実、
飢饉地の子供が其れを食べる。
わたしの今日此頃の心も
人知れず枳殻の実を食べる。


  〔無題〕

唯一つ、空《そら》に
さし出した手は寂しい。
しかし、待て、
皆が、皆が、一斉に
手を伸ばす日は来ぬか。


  〔無題〕

わたしは
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