坂の上に来て、
大東京の中央に
高く立つこそ涼しけれ。

まして今宵の大空は
秋にも通ふ色をして、
濃いお納戸《なんど》の繻子《しゆす》を張り、

しとどに置ける露のごと、
星みな白くまたたくは、
空にも風のそよぐらん。

見下ろす街は近きより
遠きへかけて奥のある
墨と浅葱《あさぎ》を盛り重ね、

飾りとしたる灯の色は
濡れたる金《きん》に交へたり、
紅き瑪瑙とエメラルド。

ここにて聴けば、輪の軋り、
汽笛の叫び、それもまた
喜び狂ふ楽となり、

今宵の街を満たすもの、
行き交ふ袖も、私語《ささめき》も、
すべて祭の姿なり。

かかる心地に、我れ曾て
モンマルトルの高きより
宵の巴里《パリイ》を眺めけり。

おなじ心地に、今宵また
明るき御代の我が都
大東京を観ることよ。

いとま無き身に唯だ暫し、
九段の坂の上に来て
高く立つこそ涼しけれ。


  北信の歌

    (山崎矢太郎氏の詩集に序する擬古一章)
わが恋ふる北の信濃は、
雲分けてむら山聳え、
沙わしり行く川長し。
あけがたの浅間のふもと、
たそがれの碓氷の峠、
幾たびも我れを立たしめ、
思ふこと尽くべくも無し。
子らと来てまたも遊ばん、
夫子《せこ》と居て常に歌はん、
飽くことを知らぬ心に
かくさへも願ふなりけり。
ましてまた松川の奥、
紅葉する渓の深さよ。
小舟《をぶね》をば野尻に浮べ、
いで湯をば野沢に浴びて、
霧を愛で、月をよろこび、
日を経ればいよいよ楽し。
往きかへり、千曲《ちくま》の川の
橋こえて打見わたせば、
とりどりに五つの峰の
晴わたる雲を帯ぶるも、
云ひ古りし常の言葉に
讃ふべきすべの無きかな。
旅の身はあはれと歎き、
唯だ暫し見てこそ過ぐれ。
羨まし、この国の人
常に見てこころ足るらん。
言《こと》を寄す、その人人よ、
今の世の都に染まぬ
新しく清き歌あれ、
この山と水に合せて
美しく高き歌あれ、
なつかしく光りたる国
北の信濃に。


  小鳥の巣(押韻小曲)

蔭にわたしを立てながら、
優しく物を云ひ掛ける。
もう落葉した路の楢。
楢とわたしは目で語る、
風が聴かうと覗くから。
   ×
杉にからんだ蔓を攀ぢ、
秋の夕日が食べてゐる、
山の葡萄の朱の紅葉《もみぢ》。
ちぎれて低く駆けて来る
雲は二三の野の羊。
   ×
わたしを何処へ捨てたのか、
とんと思ひがまとまらぬ。

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