やうな人、
私はのちのAさんの面影よりも
裄の短い単衣の下に白襟を重ね、
木綿袴を穿いた、丁《よぼろ》の年の
Aさんばかりを目に描いてゐる。
葬式の日に私はまた病んで
娘を代りに出した。
藤子が葬場で聞いて来たことは、
Aさんの死の何時間かまへ、
お茶の卓で他の社員へ托した、
私へのことづてであつた。
身体を大事にして欲しい、
無理を決してせぬことなど、
それから私には今子の誰れが
かしづいてゐるか、
ともAさんは問つたさうである。
その社員は私の隣人であつた。
涙が幾日も流れた、幾日も。
Aさんが云つたやうに、
養生をすべきであらうか、
とばかりも私には思へない、
死は恐いと云つたのであるが。

[#改ページ]

昭和十七年


  川内幼稚園園歌

西の薩摩の城いくつ
廻ぐりめぐりて大海へ
川内川《せんだいがは》の出でてゆく
姿を下にのぞむ山
神代の樟の群立《むらだ》ちの
影いと深く清らなる
御垣の内を許されて
我れ等は学び我れ等は遊ぶ
戦《いくさ》の後《のち》に大事なは
愛の心と人も知る
愛《え》の御社の大神よ
深き教を垂れ賜ひ
大き興亜の御業に
我れ等も与《あづか》らしめ給へ。



底本:「定本 與謝野晶子全集 第九巻 詩集一」講談社
   1980(昭和55)年8月10日第1刷発行
   「定本 與謝野晶子全集 第十巻 詩集二」講談社
   1980(昭和55)年12月10日第1刷発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。固有名詞も原則として例外とはしませんでしたが、人名のみは底本のままとしました。
※標題のない作品については、[無題]と記載しまた。
※各詩編の行の折り返しは、底本では1字下げになっています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※初出、収録された単行本等に関する情報は、ファイルに含めませんでした。
入力:武田秀男
校正:kazuishi
ファイル作成:
2004年6月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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