にしても、その他の文明事業において意義ある自己の生を営み、人類のために貢献しよう、禍《わざわい》を転じて福としようという努力心を振い起すに至りました。結婚の困難な現代に処する婦人の覚悟として、これは甚だ立派な態度、健気《けなげ》な措置《そち》と申す外はない。それで今日独身で立とうという女子があれば、やむをえない事情からの覚悟であって、決して結婚を嫌っているのではないのです。娘の心を理解せず世態の大勢に通ぜない親たちは、一概にこれを我儘《わがまま》だといって、偶《たまた》ま嫁に貰《もら》ってくれる口があれば、その配偶者たる男子の人格も研究せず、わが娘をば厄介者を追払うようなつもりでその男子に押附けようとする風がありますけれど、そういう不安と不幸との予知せられる結婚に盲従するには今の女子は余りに聡明になっております。親が愛してくれるよりも幾倍か自分を愛重《あいちょう》する事を心得ているのが今の我我婦人です。
勢よく流れる水はいくら防いでも何処《どこ》かへ捌《は》け口を見附ける如く、妻として母としての幸福を得がたい今の女子の或者が翻って他に自分の生活を求めようとするのに何の不思議もない。私なども適当な配偶者を得るまでは同様な覚悟で自分の運命を切り開いて行こうと思っていました。既にこういう覚悟が未婚の女子に必要になって来た以上、女子の職能は当然多方面に拡げられて行きます。良妻のみ賢母のみとしてでなく、良妻にも賢母にも成り得ると同時に、学者、官吏、芸術家、教育者、諸種の労働者としても天分を発揮し得る事を示すに到りますのはかえって女子の進歩であって、これがために人類の享《う》ける幸福は単に母として妻としてのみの時よりも非常に倍加する訳でしょう。女子の結婚難は勿論《もちろん》不幸ですけれど、世界の大勢がそうであるとすれば、この不幸なる時機を善用して婦人及人類の幸福に転換する工夫を講じて行くのが賢い仕方でしょう。勤勉にして聡明な独身婦人の生ずるという事は、それだけ日本の文明が世界的になった兆候だともいわれましょう。もし識者の親切から独身婦人をなくしようと欲せらるるなら、社会組織を改善し、男子側の経済を裕《ゆたか》にする方法を講ぜられるのが急務で、そうしてそれは容易に改善しがたい事でしょう。とにかく結婚をしないといって女子を責めるのは見当ちがいです。
独身でいて他の職能で自己の生を営む婦人のあるという事が必ずしも不合理でない一証には、古《いにしえ》の女帝にも御独身の方が多く、女流の文学者にも寡婦《かふ》となって後に名を揚げ、また未婚で終った人たちも少くない。独身主義は決して今日の新しい婦人の発明ではなく、現に我我と異《ちが》った前代の教育を受けられた今の老年女流教育家にも独身もしくは寡婦で押通した方が多いのです。論者はそういう例は特別である、そういう独身婦人は変り物だといわれるでしょうが、其処《そこ》が前に申した如く、現代の根本精神は各人の個性に適応して自由なる発達を遂げる事を尊重し、「女はこうすべきものだ」と一概に決めてしまわない所に妙味があるのですから、むしろ特例が多く、良い意味の変り物が多く出るのが結構なのです。一元論でなく多元論なんです。もし嘉悦孝子《かえつたかこ》先生や幸田延子《こうだのぶこ》女史が結婚せられ、下田歌子《しもだうたこ》先生が再婚せられたのであったら、あれだけの社会的事業は出来なかったでしょう。小学校や女学校に多数の独身を守られる婦人があってこそ教育界は実績が挙って参るのです。これらの御婦人たちはいずれも結婚しない事の苦い不幸を味《あじわ》いながら、その不幸を他の幸福に換える立派な工夫を実行していられるのです。教育界ばかりでなく、あらゆる階級の婦人に、現に意に満ちた結婚を求めて得られない所から、他の職能で独立自営を計り、併《あわ》せて父母兄弟を養って行こうとしている人たちの多いのは、私の同情に堪えない所であると共に、時代に処する覚悟と勇気との健気《けなげ》な事を甚だ心強く存じます。皆が皆結婚に由《よっ》て幸福の得られない現代に、「女は結婚すべきものだ」というような役に立たない旧式な概論に動《うごか》される事なく、結婚もしよう、しかしそれが不可能なら、他にいくらも女子の天分を発揮すべき文明の職能がある。結婚のみが自分の全部でないという見識から、境遇と自分の個性とに順じて思い思いの進路を開き、いろいろに立派な変り物の婦人が多く出て来られる事を望みます。男子の方から申してもそういう意志の強い、役に立つ、独立自営の婦人が出て来れば、足手まといが少くなって都合が宜しくはありませんか。
[#下げて、地より1字あきで](『婦人の鑑』一九一一年四月)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)
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