出来たらうと思ふんですがね、どんなに私の心安い本屋でもこれまで名の知れてない人の長い小説は引き受けてくれませんからね。』
『これさへ出来れば、これさへ出来ればと云つて居ましてね。』
女は涙を袖で拭いて居ました。さうかと思ふとまた急に、
『坊ちやん、小母さんは貧乏でおみやがありませんね。』
と大きい声で子に話かけたりもするのです。
『恥しいお話なんですが、今日なんか私の来ます時、あなた炊《た》いて置いて頂戴ねつて云つて来ましたお米はもう一合あまりなんですよ。二十日も三十日もお湯には入りませんし、Yさんはかう云つて下さるんですよ、おまへは昔の顔に似た処が一つもなくなつたつて。まあお腰巻を一つ買つても五十銭や六十銭かかりますからね、この間もね、小笠原さんと云ふ巡査の奥様の処へ行つてね、小母さん、私にお腰巻を頂戴ねつて云ひますとね、困つたね、私も一つよりかけがへがないんだけれどと云つて恵んでくれたんですよ。』
『××へは帰る気にはならないのかい。』
『一ぱし踏み出して来たんですもの。』
『前借が残つて居るのだつて。』
『ええ、けれど私はその三倍も儲をさせて来てやつたんですよ。こんなをかしな顔ですけれど、よく流行りましてね。』
私は自分が大きく点頭いたことを気の毒に思ひました。
『さうですから逃げ出しました時にはまだ指輪なんかも持つて居ましたのですよ。宮島に一月隠れてまして、それから東京へ来て二月の間物を買つては食べ食べして居たもんですから、ひどい身になつたんですよ。それからYさんが来たんですが、あの人は初めから何も持つて居ないんでせう。私が自分で働いたり、人にお金を借りたりしましてね、それからまた二月なんですからね。』
『Y君の話では初めは外の人と国を出て来たと云ふぢやないか。その人と一緒になるつもりだつたのかい。』
『いいえ、いいえ。』
女は恐い目をしました。そして首を暫くの間振つて居ました。
『途中で道伴になつた人があるんですよ。その人が××へ帰つてすつかり話をしたもんですから楼主の方へ皆解つてしまひましてね、あの方も土地に居られなくなつたんですよ。けれど前から三月には社をやめて東京へ行くと云つてたんですよ。初めからくはしくお話しないと解りませんけれど、一昨年の十一月に私が初めて出ました晩に上つてくれた客があの人だつたんですよ。私は女郎買なんかは嫌ひだけれど、身
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