くなつた頃、船は航程の半分を越えたのだと船頭が云ひました。其頃から舳先《へさき》に當る初島は藍鼠色より萌葱《もえぎ》色に近くなりました。私達の心は廣重の圖中にある旅客の氣分と、お伽噺や探險談の中にある傳説的な氣分とが絡《から》んで浮世ばなれのした一種の快感を覺えるのでした。
 船は二時間足らずで初島の北岸に著きました。沙濱で無くて灰褐色の大きな石がごろごろ[#「ごろごろ」に丸傍点]してゐるのを見ると、蓬髮敗衣の俊寛が串插《くしざし》の小魚を片手に提げて現れ相でした。少しばかりの傾斜地に網が干されてゐる。其上の崖に三四人の島の少女が立つて私達を見下ろして居ました。六年前に此處へ來たと云ふ相模屋の番頭の話では、船が著くと島の子供が爭つて土産物を貰ひに來たと云ふ事でしたが、そんな氣振の見えなかつたのは、六年の間に島の風俗も變つたのでせう。
 島の住家は飮料水の關係から、比較的氣候の寒い此の北岸の窪地にあるのです。私達は船頭の案内で「大屋」と云ふ通稱を持つた新藤氏の家へ行きました。昔の名主の家です。大黒柱の彼方にある圍爐裏を繞つて坐り、煤びた自在に吊した鑵子の湯で主婦から澁茶を注いで貰つた時、
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