にある雑誌でも読みたいのであるが、院長さんの誡《いまし》めを厳格に執り行ふ看護婦さんに遠慮して、婦人雑誌や三越タイムスの写真版の所ばかりを観るのを楽みにして居る。斯う云ふ意志の強い看護婦さんが側に居られる事は真に患者の為めになるのであると思ふ。
 産前から産後へかけて七八日間は全く一睡もしなかつた。産前の二夜は横になると飛行機の様な形をした物がお腹から胸へ上る気がして、窒息する程呼吸が切ないので、真直に坐つた儘|呻《うめ》き呻き戸の隙間の白むのを待つて居た。此前の双児《ふたご》の時とは姙娠して三月目から大分に苦しさが違ふ。上の方になつて居る児は位置が悪いと森棟医学士が言はれる。其児がわたしには飛行機の様な形に感ぜられるのである。わたしは腎臓炎を起して水腫《むくみ》が全身に行き亘つた。呼吸が日増に切迫して立つ事も寝る事も出来ない身になつた。わたしは此飛行機の為に今度は取殺されるのだと覚悟して榊博士の病院へ送られた。

[#ここから3字下げ]
生きて復かへらじと乗るわが車、刑場に似る病院の門。
[#ここで字下げ終わり]

と云ふのがわたしの実感であつた。

 二月の初に一度産の気が附いて、
前へ 次へ
全13ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング