分が男の方に解らぬはずはないでしょう。よし普通の男子には解らずとも、それが鋭い観察と感受力とで領解せられるのが文学者ではありますまいか。幾分女でなければ解らぬという点さえも文学者のみには解りそうなものだと私は存じます。罪人にならねば罪人の心持が解らぬようでは文学者も詰らぬ物になりましょう。沙漠の中の犬は二里先の人の臭いを嗅《か》ぎ知ると申します。
 女の事は婦人の作家が書いたならば巧《うま》くその真相を写す事が出来るかと申すに、従来《これまで》の処ではまだ我国の女流作家の筆にそういう様子が見えません。男子を写すのは男の方が御上手《おじょうず》である事は申すまでもないので、女の書いた男は勿論巧く行きません。一葉《いちよう》さんの小説の男などがその例ですが、女の書く女も大抵やはり嘘の女、男の読者に気に入りそうな女になっているかと存じます。一葉さんのお書きになった女が男の方に大層気に入ったのは固《もと》より才筆のせいですけれども、また幾分芸術で拵《こしら》え上げた女が書いてあるからでしょう。

 女は大昔から男に対する必要上幾分誰も矯飾《きょうしょく》の性を養うて表面《うわべ》を装う事になっております。で自分の美所も醜所も隠して、なるべく男の気に入るような事を自然男から教えられた通に行うという場合があろうと存じます。女の為《な》す事の過半は模倣であるというのは決して女の本性《ほんしょう》ではなく、久しい間自分を掩《おお》うようにした習慣が今では第二の性質になったのです。文学を書くにしても女は男の作物を手本にして男の気に入るような事や男の目に映じたような事を書こうとします。女は男のように自己を発揮して作を致す事を遠慮している所から女の見た真の世相や真の女が出て参りません。これを誤解して女には客観描写が出来ず、小説が書けぬもののように申す人があります。

 しかし徳川時代から明治の今日へ掛けてこそ女流の作家は出ませんが、平安朝以後の文学では男子が皆女の小説を手本にしてそれを模倣して及ばざる事を愧《は》じております。才分に富んだ女が真実に自己を発揮したならば、『源氏物語』のような巧《たくみ》な作がこの後とても出来ないとは限りません。紫式部《むらさきしきぶ》の書いた女性はどれも当時の写実であろうと思われ、女が見ても面白う御座います。女の醜い方面も相当に出ております。それにしてもまだ十分女の暗黒面を『著聞集《ちょもんじゅう》』や『今昔物語《こんじゃくものがたり》』などのように露骨に書いてないのは、当時の手本である支那文学にそういう類の物がなかったせいでもありましょうが、一つは男に甚《ひど》く女の醜い所を見せまいという矯飾の心、後世の道徳家の言葉で申せば貞淑の心から書かなかったのでしょう。

 紫式部は女を巧く書きましたにかかわらず、男はそれほどでもありません。光源氏《ひかるげんじ》などはどうも理想の人物で当時の歴史を読んだ者にはこういう男子の存在を信ぜられません。昔から女には男を書く事が困《むず》かしいのでしょう。近松《ちかまつ》の書きました女性の中でお種《たね》にお才《さい》、小春《こはる》とお三《さん》などは女が読んでも頷《うなず》かれますが、貞女とか忠義に凝った女などは人形のように思われます。

 婦人の小説家がこの後成功しようと致すには、従来《これまで》のように男の方の小説を模倣する事を廃《や》め、世間に女らしく見せようとする矯飾の心を抛《なげう》って、自己の感情を練り、自己の観察を鋭くして、遠慮なく女の心持を真実に打出すのが最上の法かと存じます。また女の作家がこういう態度で物を書けば、几帳《きちょう》を撤して女の真面目《しんめんぼく》を出すのですから、女の美も醜も能《よ》く男の方に解る事になりましょう。また私はこういう態度を取れば女にも小説が書けるものだと信じております。と申すと、女は大変に暗黒面の多い者、御座《おざ》の醜《さ》める事の多い者であって、それを忌憚《きたん》なく女自身が書いたら風俗を乱すなどと想う人もありましょうが、女とても人ですもの、男と格別変って劣った点のある者でなく、あるいは美しい点は男より多く、醜い点は男より少いかも知れません。女ばかりでなく、男の方も随分まだ醜い所を隠しておられるのではないでしょうか。

 『古事記』の女詩人や、小野小町《おののこまち》、清少納言《せいしょうなごん》、和泉式部《いずみしきぶ》などの歌った物を見ますと、女が主観の激しい細かな詠歎を残しておりますが、この方には割合に矯飾が行われずに真率に女性の感情が出ております。私は小説家ばかりでなく、詩歌《しいか》の作者としてもまた新しい婦人の出て来られることを祈っておるのです。
[#下げて、地より1字あきで](『東京二六新聞』一九〇九年三月一七―二〇日)



底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年8月16日初版発行
   1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「一隅より」金尾文淵堂
   1911(明治44)年7月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年1月10日公開
2003年5月18日修正
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