われるのですが、それは纔《わずか》に文字に表現するまでの不平不満であり、改革的意気であることを知るに至って、その志士的口吻の溢れた文字も、唯だ日比谷《ひびや》の議院における喧囂《けんごう》と一般の感を惹《ひ》くに過ぎなくなります。私はそれらの実行的勇気を欠いた教育者の例に教育界の如何なる名家を引証することをも辞しません。かの人たちは皆利己主義的生活または個人主義的生活に余りに忠実であって、それ以上の高級な生活への飛躍に卑怯《ひきょう》であるのです。
各種の教育雑誌に現れる議論において教育の統一と独立とを主張するのに勇気ある教育者たちが、どうして、現代教育の本義に考えてお門違いな陸軍的精神の掣肘《せいちゅう》を受ける兵式体操を拒絶しないのでしょうか。私は軍人のためにこそ兵式体操の必要を認めます。しかし普通教育には正当な目的があります。小学や中学において(大学においては勿論)軍人という一部の特殊な公職に就くための専門教育を施すことは肯定されません。普通教育において施すべきものは、体育のための体操の範囲に終始すべきものであると思います。山川帝大総長の如き教育者の頭目が極端な国民皆兵主義の実現と、今一つは、奉公、節制、柔順、細心というような美徳を養成する目的とで兵式体操の採用を奨励し、現役軍人をしてこれが教授の任に当らしめようとせられるのは、老人の非常識でなければ軍閥に対する気兼とでもいうものでしょうか。近世において国民皆兵主義を極端に実行したのは独逸《ドイツ》の官僚政治家です。独逸はこれがために俄《にわ》かに腕力の強者となりました。そうして平和主義的な文明諸国から嫉視された通り、その武力の過度な膨脹は果して世界の危険を馴致《じゅんち》してこの度の大戦争となりました。今や世界の生活理想の方向は一転しています。国民皆兵主義の根本思想である軍閥主義や侵略主義はウィルソン大統領の宣言を待たずして、世界の反対する所です。これに気が附かないのは非常識であり、なおそれを知りながら田中参謀次長らに由って唱えられる国民皆兵主義に呼応されるのは奇体だと思います。大元帥を兼ねさせられた明治天皇の御製を拝見しても、世界人類を一視同仁の中に包容し給う御聖旨をしばしば示されているにかかわらず、侵略主義征服主義の覇王《はおう》的な御精神は少しも窺《うかが》うことが出来ません。日本の軍人の目的は正大です。文明諸国から独逸の国民皆兵主義と混同されるような危険な施設を、特に好んで今後の教育に添加する必要はありません。
臨時教育会議というものが内閣に直属して現に開催されております。これなどは戦後経営の予備行動として計画されたのだといいますから、私は母たる義務としても最初からこれに注意を払おうとしたのですが、その議員の多数の顔触《かおぶれ》を一見しただけで既に莫迦々々《ばかばか》しいという気がするのでした。小松原氏平田氏という風な老人の官僚たちに、戦争以来の急激な推移を看破する一隻眼があり、それを受容する敏捷な神経があり、それに対して、日本人の生活の照準を合せ得る溌剌《はつらつ》たる見識が十分に備っているという信用を、持ち得る者が果して幾人あるでしょうか。私はこの顔触を見て、戦時の英露二国に、ロイド・ジョオジとケレンスキイとが出現した当時の百分の一の緊張をも感じることが出来ませんでした。今日は真に戦後の生活を、世界の大勢と呼応して改造しようとするなら、どの方面においても新らしい青壮年の実力ある偉材を英断に抜擢《ばってき》して、第一に日本人の耳目を刺戟し、気分の刷新、心情の緊張を計って、ふやけた、保守的妥協的の悪気風を一掃して掛かる意気込が必要です。抜擢しようとすれば、教育界にもその他の社会にもそれだけの実力を抱きながら、空しく雌伏《しふく》している人材は無数にあります。私の考えをいえば、臨時教育会議は今のような顔触を一切廃して、東西両大学、各高等学校、男女各高等師範、私立大学、中学、高等女学校等の俊秀な青壮年教授を主として抜擢し、それに教育界以外の同じく青壮年の識者をあらゆる社会から代表的に選択して組織すべきであって、その議題は少数の時代遅れな老政治家、老教育家達に由って決定されるほどの閑問題でないのですから、その討議も今のように秘密主義で通すことなく、一々これを国民の前に公表すべきものであると思います。私は一人の婦人教育家をも加えない教育会議というものは全く世界の趨勢《すうせい》を透察せず、日本の女子を蔑視《べっし》した不親切|極《きわま》る組織だと考えます。
果して私の想像していた通り、あの顔触で出来上った臨時教育会議からは、今日まで、一九一七年の春に英国の議院でなされた彼国の新文部大臣フィッシャア氏の大演説が異邦の我々さえも襟《えり》を正さしめたような、時代と
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