ら、純正個人主義と世界人類主義とを背景としない国家主義、言い換れば個人の愛(個人の道徳)と世界人類の愛(世界人類の道徳)とを裏切った国家主義に反対します。
 愛の世界的協同と共に必要なことは経済の世界的協同であると思います。この事の必要は今度の戦争において現に暗示されております。協商国側も連合国側も軍事上政治上の協同だけでは戦争の出来ないことを知りました。米国が戦争に参加して連合国側に偉大な強味を与えたことも、その兵力よりは、その豊富な財力に恃《たの》む所があるからです。好戦尚武の国として知られた日本が、よく自制して今度の戦争に大兵を動かさないのも、その重要な原因は米国と反対に財力の不足にあります。またこの度の戦争に由る財力の集中偏依が世界の隅々まで影響し、私たちの日常生活の第一の必要品である食物までを法外に暴騰《ぼうとう》させているのを見ると、如何なる名義の下にも、財力の集中と濫費が人類生活を危険にする事が想われ、同時にそれらの公平な分配と正当な支出が人類生活を幸福にすることが想われます。全人類の共通な幸福を円滑にし保障するものとして、相互に財力を扶助し合う経済の世界的協同が成立するなら、どんなに私たちの生活が安全になることでしょう。
 愛と経済との世界的協同さえ主として成立すれば、その他の学問、芸術、科学等は固《もと》より人類的なものですから、特に世界的協同を主張しなくても、今日よりも一層人類生活の共通な幸福の動力となることは明白です。国民生活が偏重されている今日ではすべてが国家に隷属する不公平な状態となり、世界人類的なるべき愛が一国民の間、もしくは同盟国民の間にのみ限局せられて、国家の名の下に英国人は独逸人と憎み合い、終《つい》に戦争を開くような野蛮な光景を呈します。経済においても、国家が軍備拡張や戦争行為にそれを濫用して、かえって世界人類の幸福を破壊する動力となり、また学問科学も国家と国家との軍事的施設に悪用せられ、学者までも国家の奴隷として戦争を弁護し助長するような倒錯的陋態を誘致し、芸術も仏蘭西や白耳義《ベルギー》の名高い大寺の建物のように、国家と国家の狂暴な戦争行為のために凌辱の憂目《うきめ》を見る外はありません。
 以上述べたような、人類生活の内容として最も幸福な共通の標準として世界の連帯協同生活を建設することが出来れば、人は最も健全にして最も雄大な
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