生活が幸福に成長し得るものでないことも明白になりました。この三つの生活が協同し、連関し、融和して、初めて人間の生活はその全体の完成を期待することが出来るということを知る時代が来たのです。
これまで分裂しやすく矛盾しやすかった三つの生活の融合をどう意識的に企画すれば好いでしょうか。私は私自身の必要からこれをこう考えております。その扞格と矛盾とを除き、その分裂と衝突とを避ける方法としては三つの生活を貫いて共通の幸福となる性質を持った生活事実を全生活の価値標準とし、これに背馳する生活事実をすべて排除する外はないということです。具体的にいえば、共通の幸福となるものは愛を第一とし、経済、学問、芸術、科学等は悉く国境を超えて平等に世界人類の幸福となる性質を持っております。これらは個人をも利し、国民をも利するものでありながら、或個人または一の国民の利益のために独占して、他の個人や他の国民との間にこれがために衝突するようなことを許されない性質のものであることはいうまでもありません。
この方法を実現しようとすれば、第一に愛の世界的協同が必要になります。博愛的世界主義というか、人道的世界主義というか、名はいずれにもせよ、人類が相互に愛し合い扶助し合う実行が起らねばなりません。今度の戦争で、協商国側にも連合国側にも或国民との相互扶助が行われました。それを今一段進めて世界人類の相互扶助を実現せねばなりません。西部の戦線においては敵味方の間にさえ、独仏の兵士同志は攻撃のない日に塹壕《ざんごう》から出て語り合いながら、世界人類的の親愛を感じて、何がために国民の名においてお互世界の同胞が殺し合わねばならぬかを考え、その不合理と矛盾とを痛切に悲むような例が尠《すくな》くないといいます。露西亜《ロシヤ》の過激派の行動は一見して非常識であり、その手段において極端不法であることは勿論ですが、しかしその精神は全人類的の愛から出発していることを否むことは出来ません。ケレンスキイ一派の第一革命にしても、過激派の今回の暴挙にしても、昔の仏蘭西《フランス》革命が酸鼻の跡の多いのに反して出来るだけ流血の悲劇を示さずに目的を達することに一致しております。人をより幸福に生かすことが彼らの目的である以上、如何なる名の下にも手段として人を殺すことの矛盾を避けるのが至当です。罪人に対してさえ死刑を廃止するのが正義であると
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