す。文明諸国から独逸の国民皆兵主義と混同されるような危険な施設を、特に好んで今後の教育に添加する必要はありません。
臨時教育会議というものが内閣に直属して現に開催されております。これなどは戦後経営の予備行動として計画されたのだといいますから、私は母たる義務としても最初からこれに注意を払おうとしたのですが、その議員の多数の顔触《かおぶれ》を一見しただけで既に莫迦々々《ばかばか》しいという気がするのでした。小松原氏平田氏という風な老人の官僚たちに、戦争以来の急激な推移を看破する一隻眼があり、それを受容する敏捷な神経があり、それに対して、日本人の生活の照準を合せ得る溌剌《はつらつ》たる見識が十分に備っているという信用を、持ち得る者が果して幾人あるでしょうか。私はこの顔触を見て、戦時の英露二国に、ロイド・ジョオジとケレンスキイとが出現した当時の百分の一の緊張をも感じることが出来ませんでした。今日は真に戦後の生活を、世界の大勢と呼応して改造しようとするなら、どの方面においても新らしい青壮年の実力ある偉材を英断に抜擢《ばってき》して、第一に日本人の耳目を刺戟し、気分の刷新、心情の緊張を計って、ふやけた、保守的妥協的の悪気風を一掃して掛かる意気込が必要です。抜擢しようとすれば、教育界にもその他の社会にもそれだけの実力を抱きながら、空しく雌伏《しふく》している人材は無数にあります。私の考えをいえば、臨時教育会議は今のような顔触を一切廃して、東西両大学、各高等学校、男女各高等師範、私立大学、中学、高等女学校等の俊秀な青壮年教授を主として抜擢し、それに教育界以外の同じく青壮年の識者をあらゆる社会から代表的に選択して組織すべきであって、その議題は少数の時代遅れな老政治家、老教育家達に由って決定されるほどの閑問題でないのですから、その討議も今のように秘密主義で通すことなく、一々これを国民の前に公表すべきものであると思います。私は一人の婦人教育家をも加えない教育会議というものは全く世界の趨勢《すうせい》を透察せず、日本の女子を蔑視《べっし》した不親切|極《きわま》る組織だと考えます。
果して私の想像していた通り、あの顔触で出来上った臨時教育会議からは、今日まで、一九一七年の春に英国の議院でなされた彼国の新文部大臣フィッシャア氏の大演説が異邦の我々さえも襟《えり》を正さしめたような、時代と
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