安動揺の生の中に信頼し扶《たす》け合って行く情味も一つの原因であろう。
しかし何が自分の貞操を自然に守らせている原因の重《おも》なものかと考えて来ると、処女時代から失わずにいる「純潔」を貴ぶ性情がそれである。良人と自分との間には心の上に虚偽がない。何事も隠さずに打明けねば自分の純潔を好む心が済まない。従って肉体をも純潔に自重したい。不貞なる行為はやがて不潔である。虚偽である。純潔な肉体は、自分の純潔な心の最も大切な象徴として堅く保持したいと思うのである。
翻って処女時代を顧みてもそうである。自分はよほど特殊な境遇に育ち、特殊な性情を持って処女時代の貞操を正しく過ごして来たが、前に挙げた多くの理由には僻《ひが》んだり間違ったりした心持から出たものも交っている。その中で今日から考えても最も正しい理由はやはり「純潔」を貴ぶ性情であった。
自分には今日まで貞操を破るような行為を望む内心の要求は少しもなく、今後もそういう危惧《きぐ》は夢にも思いがけないが、万一そういう不貞な心が起るとしても、それを予防するものはこの「純潔」を貴び、正しきを欲する性情の威力であると信じている。啻《ただ》に貞操についてのみならず個人の尊厳はこの性情を土台として保たれかつ発揮せられるものだと信じている。
このように意識して自分の貞操の地盤を反省し出した自分は「純潔」を貴ぶ性情を主とした上になお下のような理由を新たに加えたい。それはもし貞操を乱した場合を予想した消極的の理由ではあるが、今日の自分はこういう事をも考えて見ずにはいられない。即ち処女時代において不貞の行為があれば、処女の純潔は破壊せられたのである。その女は自ら恥と悔《くい》とを覚えるばかりでなく、淑女たる資格なき者として社会から擯斥《ひんせき》せられても涙を呑《の》んで忍ぶより外はない。進んで貞淑な人の妻となる資格に欠けた所のあるのは勿論である。かような将来の不幸を予知する明敏な心がある以上、処女自身にあくまでも自己の貞操を尊重するのが賢い仕方である。
妻にして貞操を破るとすれば忽《たちま》ち家庭の不和を生ぜずには已《や》むまい。子女の教育についても母が正義の規範を示す資格を欠くことになる。教えられざる女は知らぬこと、理智の眼の開《あ》いた婦人はこれがためにも貞操を尊重せねばならぬ。家庭の平和と純潔とを乱せば一身の破滅ばかりでなく、延《ひ》いては一家の協同生活を危くし、社会の幸福をも害《そこな》う結果が予想せられる。
学者は種の保存の上からも女子の貞操は太切《たいせつ》であるという。学説としてはそうでもあろうが、自分にはまだ夫婦の血族を保存するために貞操を守ろうとする自覚はない。それよりも自分のように純潔を貴ぶ性情を基礎としてさえいれば自然に種の保存の意義にも一致する結果になると思う。
以上は専ら自分にのみついて述べた。これを自分だけの経験から出発した特殊の貞操観であって、一般の婦人たちに及ぼしがたいものである事は勿論知っている。世の中の婦人の大多数は貞操の堅固な人たちである。自分はその一人一人の特殊な貞操観を聞きたい。
また再婚をする婦人の心持、良人を定めずして多数の異性に接する稼業《かぎょう》の女の心持などは、どういう所に心の平衡を取って自己を安んじ羞恥《しゅうち》を抑《おさ》えていることが出来るのか、それらについても経験を聞きたい。
未亡人というものは故人|某《なにがし》の妻である。それが再嫁をするということは法律上に姦通ではないにしても、本人の心持は疚《やま》しくないものであろうか。未亡人の貞操観というものも赤裸裸に語る人があって欲しい。
また男子の貞操観をも聞きたいものであるが、それは男子自身の正直な告白を待つより外はない。しかし自分の想像では、男子は生理的に女子とよほど異《ちが》った所があって、処女には性欲の自発がないにかかわらず、若い男子にはそれが反対に熾《さかん》であるらしい。(十月の雑誌『三田文学《みたぶんがく》』の谷崎氏の小説はその一例である。)また婦人は早く老いやすいにかかわらず、男子は七十歳の老人にも好色の噂《うわさ》を聞く例《ためし》が多い。特殊な男子を除き、一般大多数の男子がそうであるなら、男子の貞操はよほど趣を異にせねばならぬはずである。男子は貞操を守るに堪えないともいわれよう。
それとも、将来は教養ある男子が殖えるに従って、自己の純潔を貴ぶため、家庭の平和を欲するため、放縦《ほうしょう》な性欲を自制して一夫一婦主義を女子と同じく尊重し実践するようになるであろうか。また反対に女子もまた刺激に憬《あこが》れる心や食物その他の変革から従来の体質を漸次一変して性交の欲望を自発し、併《あわ》せて男子と斉しく老ゆることも遅くなるであろうか。最後に述べて置く、自分の貞操は男子――良人の貞操の如何《いかん》に由って動揺するものでない。自分の肉体を清らかに保つのは自分の心の象徴だとして、何よりも先ず自分のために尊重するのである。そうしてこれは誇るべき事でも何でもない、自分に取って当然の事だと思っている。
[#下げて、地より1字あきで](『女子文壇』一九一一年一〇―一一月)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「雑記帳」金尾文淵堂
1915(大正4)年5月初版発行
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年1月10日公開
2003年5月18日修正
青空文庫ファイル:
このファイルはインターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング